グランド・ゼロの視点

— 重なり合う日本の戦後 —

北海道新聞06年6月5日

 

それはほんとうに美しい青空だった。重々しいビルが林立するニューヨークのオフィス街に突然開ける青空。薄暗い地上を歩いてきた者を唐突に春の陽光が覆う。二〇〇一年九月十一日、旅客機が突っ込み崩壊した貿易センタービルの跡地、いわゆるグランド・ゼロは、今、新たな超高層ビルを建てるための工事の真っ最中だ。崩壊した巨大ビルが占めていた空間がぽっかりとそこだけ拓けて無惨に明るい。周囲の傷ついたビルもほぼ修復が終わり、事件当時を思い出させるものはもうあまり残っていない。それでも工事現場を囲うフェンスにくくりつけられたリボンや写真が亡くなった一人一人になお繋がっている。ここからなら何かが見える、そう感じさせる特別な空間だ。


 ニューヨークのあの瓦礫の現場に比較して日本のそれはなんと広大だったことだろうか。第二次世界大戦ののちの焦土には、無数の死者の影と生き残った者の生活が野ざらしとなっていた。戦争はおろか戦後さえ知らない世代である私にとって、しかしこの廃墟は今日に繋がる大切な基点に思えて仕方がない。

 

 冬の皺よせゐる海よ今少し生きて己れの無惨を見むか

『乳房喪失』

 

 昭和二十九年、忽然と歌壇に現れ、一年余りで亡くなった北海道の歌人、中城ふみ子もこの瓦礫の明るさに晒されたひとりだと思う。自らの乳癌を知り、運命を見取ったこの歌は厳しい内省と、自己を突き放した見えすぎる目によって詠まれている。離婚、幾度かの恋、乳癌による夭逝、という激しい人生ゆえに、中城は常にその悲劇と共に語られてきた。ドラマの主人公になりきったような陶酔、と批判されたことさえあった。しかし彼女の歌を今読んでみると、そうした批判を突き抜ける厳粛な視線が感じられる。この独特の眼差しの強さは何なのだろう。

 

 追ひつめられし獣の目と夫の目としばし記憶の中に重なる

 

 ここで晒されている夫の表情、さらにはその内面はあまりにも赤裸々だ。怯え、傷つき、それゆえにどう猛となった獣と夫を重ねる呵責のなさ。ここには真裸の傷ついた人間の姿がある。激しかった中城への批判は、もしかすると描かれてこなかった何かにその表現が及び、暗黙のタブーを破っていたからではなかろうか。

 

 光りたる唾ひきしキスをいつしんに待ちゐる今朝のわれは幼し  

『乳房喪失』

 枇杷の実をいくつか食べてかへりゆくきみもわが死の外側にゐる  

『花の原型』

 

 キスを詠む込むことさえ珍しかった当時、「光りたる唾ひきし」という接吻の詳細は衝撃的だったに違いない。この表現は甘いようで甘くない。それは二首目の自らの死を覚悟した時、死の側から見舞客を見つめる視線と同様の眼差しによって描かれているのだ。

 

 水かぎろひしづかに立てば依らむものこの世にひとつなしと知るべし

『橙黄』葛原妙子

 白きうさぎ雪の山より出でて来て殺されたれば眼を開き居り 

『うたのゆくへ』斎藤史

 生ける蛾をこめて捨てたる紙つぶて花の形に朝ひらきをり

『白蛾』森岡貞香

 

 廃墟の明るさに晒されながら、かっきりと眼を見開いたような歌、これら、戦後を代表する歌には今見えるものを見るのだ、という気迫がある。頼るべきもの、信じうるものなど何もないのだ、という自覚によって立った葛原。殺されることによってかっきりと眼を見開きこの世をまじまじと見つめる兎を描く斎藤史。蛾の生々しい命に自らの命を重ね、寡婦として生きる女の内面を描き出す森岡。戦後の廃墟にそそいだ光は、人間の心に眠っていたさまざまな真実を呼び覚ましていった。

 見てはならぬもの、聞いてはならぬこと、表現してはならないことが、暗黙のうちに降り積もるのがこの世界だ。戦後の廃墟に訪れた陽ざしは、眩しすぎ、悲しい明るさで人々を途方に暮れさせたに違いない。しかし、その廃墟の光のなかで、あからさまになったものを見逃すまいとした人々もいた。中城ふみ子もその一人だ。彼女は平穏な人生から投げ出されて廃墟の明るさに立った。そこに自らの人生のあからさまを惜しみなく晒し、自他を直視しするほかなかったのだ。中城の表現の核には、もはや覆い隠すことの出来なくなった人間の孤独の姿がある。


 グランド・ゼロに広がる青空には、旅客機を操縦し、巨大ビルに突っ込んでゆくモハメド・アタ容疑者の視線が、切り傷のように残っている。その視線とまともに向き合うことは本当に出来たのだろうか。さらさらと時間に奪われてゆく私達自身と、私達の言葉。事件から五年、現場はもう美しいタイルで覆われはじめ、真新しい地下鉄の駅に通じていたけれど。