なぜ歌の伝統を継承するのか

「短歌朝日」01.11,12月号

 

宮崎駿の「となりのトトロ」をカリフォルニアの映画館で観たときのことを思い出す。何といっても好きな映画だったし、知り合いの子供達にも日本の優れたアニメを見せたかったので連れていった。結果はさんざんだった。映像は綺麗で、口の動きも英語に合わせて描き直されるなど、相当の気遣いがあったにもかかわらず、である。土曜日の午後の映画館なのに客は私たちだけ。しかも連れて行った子供達は最初の十分間で飽きて鬼ごっこを始めてしまった。あのアニメが興行的に現地で成功したのかどうか知らないし、また仮に成功しなかったとしてそれが作品の価値を決めるものではないと思う。しかし私の経験の範囲では何かの障壁があって作品は十全に伝わらなかった、それだけは確かだ。何だったか。私は<郷愁>という装置なのだと思う。茅の生い茂る土手の草いきれ、蝉時雨、田んぼの匂い。鬱蒼とした鎮守の森。縁の下の暗闇。お弁当のさくらでんぶ。あの映画はそうした細部を生活経験とした人々の共感と郷愁を誘う仕掛けで満ちている。そうしたデテールへの共感がトトロという化け物の存在感を支え、物語の牽引力となっていた。そうであれば、それらを生活経験とせず<郷愁>を感じようのない異文化圏の人々に、たっぷりと描き込まれたデテールは邪魔でさえあったかもしれない。ここには文化ギャップがありありと存在し、それが表現の新たな課題となっていることが伺えるのだ。

 <伝統>の問題を考えるとき、私はこの文化ギャップの問題と無関係に問いを進めることが出来ないと感じている。ただし、だからといってわたしはこの問いをネガティブに捉えようとは思わない。今日の最も創造的な作者達はおそらくこのギャップに身を投げかけるように言葉を模索しているはずであり、そこが前線であるはずだからだ。文化ギャップとは、国や民族といった大きな範疇の話に限らない。今日の短歌の世界で問題となっているのは、表現の多様さという現れ方をしている、世代、地域、性別、さらには個別な好みによる<文化>の差であり、表現のバラエティーであり、評価軸のズレである。

 

 ホームルーム!ホームルーム!とシマウマの鳴き声がする夜の草原

『手紙魔まみ、夏の引っ越し(ウサギ連れ)』穂村弘 

 

 例えば穂村のこの歌に特別なリアリティーを感じるのはどんな世代だろう。「ホームルーム」という言葉が学園生活の、ひいては十代後半の多感な時期に織り込まれた共有の言葉であり、そこから広がる風景や感情の質のようなものがこの言葉に感じられる人々。シマウマのいる草原というのは私たちの身辺にもまた作者の日常にもない風景であり、むしろ記号のように単純化されているからこの歌のリアリティーは、「ホームルーム」という言葉にかかってくる。「ホームルーム」の響きによって記号のような草原のシマウマが柔らかに草を食み、遠い風の音に耳を傾け、その寂しさによって嘶く動物に変化してゆくことが必要なのだ。私はこの歌に特別な親しさを覚える。それは、一日の終わりの教室の淡い疲れと、校庭のように空虚であてどなかった十代の記憶と重なりつつ、この言葉が私の中で生きているからだ。それは、クラス活動や学級会などという言葉には決して置き換えることができない。しかし、例えば私の母がこの歌から何を感じ取るかについては想像がつかず自信がない。あるいは彼女にとって「ホームルーム」は、知ってはいても経験されない写真のシマウマと同じ記号であるかもしれないからだ。

 

 ひとふさのバナナあふるる三方ありともしびの火の揺らめくが中

『静物』小池光 

 

 小池のこの歌は、儀式か何か、一連の中では葬式のような場面らしく、そこでの供物として捧げられたバナナをあらためて見つめている。そしてここでも「バナナ」への記憶が読みを分けることになる。この歌は、スーパーの安売り品の代表として仕方なく食卓に置かれる黄色い記号としてのバナナしか知らない世代にはほとんど意味を持たないだろう。「バナナ」が貴重品であり、南方渡来の高級果物であり、しかしそれでも手が届かないわけではなかった時代を知っている者にとっては、その有り難さを忘れていた時間を超えて、いま、目の前に特別な位置を得ている「バナナ」の輝くような存在感が共感されるのだ。

 穂村と小池はもっとも意識的にこうした記憶の特別さに訴える表現に挑戦してきた。だが、もっと広く現代の表現一般で無意識にこうしたコードが頼りにされているかも知れない。普遍性の対局にある感性を誘い出すことで高まる言葉の鮮度や緊張感への期待として。しかし、<郷愁>が表現の核に据わるとき、そこにはかならずその懐かしさを共有できない人々という異邦人が出現する。そして、<郷愁>を共有できない異邦人を引き連れて現れるのが現代の表現ということになるのだろう。そこでは経験の共有の有無によってそれぞれの表現への親近感は格段に違うはずだ。その懐かしさの度合いが、作品への理解の深浅となり、ひいては評価軸を形作っているというのが実状ではないだろうか。

 「なぜ歌の伝統を継承するのか」。この「なぜ」に正確に応えうるような何かを私は持たない。むしろ表現しようとするとなぜ<伝統>が私に付いてくるのか、なぜ振り切っても振り切っても見えぬ尾のようなものがついてくるのか。そのことにもどかしく向き合ってきた気がするからだ。しかし、現在あえて<伝統>を引き寄せるとすると、このような表現の多様化と同時に進行している<郷愁>による感性の共同体の細分化を危うく思うときだ。『万葉集』の時代も多様な文化的地域的背景を負った言葉がひしめくように集っただろう。その多様さを乗り越えて「歌」と呼ばせたものは何であったのか。あるいは中央の文化的権力であったかもしれない。そういう意味では<伝統>は制度である。どのような制度を引き受けようとするのか、もし、その態度が消極的なものとなれば<伝統>はたちまち枷となり、鋳型となり、権威となって言葉を殺すだろう。しかし、もし現代だからこそ手に入れられるより広い視野とより長い時間軸にこの問いを晒すなら、あるいは<郷愁>という装置を乗り越える底力そのものとしてこの小さな詩型の<伝統>は立ち現れるかもしれないと夢想するのだ。