逃げる

2002/6, No.3

 

頬杖をついてテレビを見ていたN子が囁くように宣う。「男って、逃げるのよねー」。

 画面はこのところ見慣れた中国の日本領事館に逃げ込もうとする北朝鮮の家族を映している。もがく母親、抵抗するもう一人の女性、投げ出されて立ちつくす幼女。制服に身を固めた男達ががっちりと彼女たちを捉えて離さない。凄惨な画面である。これが男同士だったらもう少し違う風景に見えただろう。亡命する男達はすばやくゲートをくぐり、一度だけ振り返り、そしてすばやく画面を走り抜けていった。家族がゲートの内側とゲート上とに別れた瞬間である。

 男達はなるべく早く領事に亡命の意図を伝えることを第一の目的にしただろう。それが家族全体にとって最も効率のいい作戦なんだろう。本国で拷問を受けたこともあるというこの夫達を責めるなどとんでもない話だけれど、状況によっては永久にこのまま家族がバラバラになり生死を分けたかもしれぬ瞬間である。画面にはすばやく駆け抜ける男達、そしてもがく女達が何度も映る。

 詩人の石垣りんはこの世にはついに男と女しかいないことを戦後すぐに見抜いた。男と女、この素晴らしく明快な黄金分割に、領事館を囲む国境はときおりぼやけて見えてしまう。この敷居は何だろう。男も女も等しく守ってくれた国境などあっただろうか?国境の外に連れ出され、兵士となった男達は心細さのあまり何でも撃った。沖縄戦で撤退する日本軍は女子供や老人を残して逃げた。たぶん世界中の国境で弱い者は取り残されている。男が逃げるのではない。人が人為的に引いた線は臆病で、人為によって、そしてほんのわずかな力の差によって変形し、線自体が逃げたり逃げなかったりするのだ。

 画面でもがき続ける女達を弾き出して、領事館を囲む敷居がいまスルリと逃げたのを見てしまった。N子はこう言いたかったのだ。「国境って、逃げるのよねえ」。