少年Aシリーズその2

弁当箱

2002/9

 

夏休み中の息子に異変が起こった。正確には息子の弁当箱にそれは起こった。補習で学校へ通って三日目。何は忘れても忘れられたことのない幸福な弁当箱は、夜、台所に投げ出され、朝、ふたたび重たくなって出かけてゆく。ある夜、台所に帰ってこない弁当箱を捜索しに息子の部屋にゆくと、息子はなかなか渡そうとしない。

 「どうしたの?弁当箱まで食べちゃったの?」

 抵抗する息子から無理矢理取り上げると、見慣れた弁当箱が何となくかしこまっている。すっかり空なのはいつもの通りだとして、どこか雰囲気が違うのだ。怪しい弁当箱を台所まで連れ帰り、開いてみる。なんと!綺麗に洗われているではないか。一瞬私の頭は弁当箱と同様きれいに空っぽになる。あ、洗わなくていいんだ、という喜びが0.1秒。そののちは疑問の嵐である。

 息子が洗うわけがない。これだけは確かだ。息子の男友達が洗うか?それは最悪の想像だ。じゃあ、先生か?確かに私自身は大昔、幼稚園の先生にパンツを洗ってもらった。しかし、いくら学費の高い私立高校の先生といえども生徒の弁当箱まで洗うわけがない。じゃあ、誰が?答えは辿り着くべき答えに辿り着く。息子にガールフレンドができたのである。たぶん。私は空っぽの弁当箱を眺めながら、「ふうん」と思う。

 高校生の頃、私は好きな男友達から借りたハンカチを洗い、アイロンを掛けて返したことがある。母の鏡台から内緒でオーデコロンを拝借し、ひと吹きして。あの時のドキドキを思い出す。この弁当箱を洗った少女の息づかいまで聞こえる気がする。弱り切っている息子に、あの時、オーデコロンの匂うハンカチを渡された男友達の表情が重なる。

 少女の勝利だ。すこし胸がきゅんとし、そして静かな嬉しさが染みこんでくる。ともあれあの子は孤独じゃない。私は緊張している弁当箱を眺める。いまどんな気持ちなのかが自分にもよく分からないのだ。