02/9
この夏の霧ヶ峰高原は、台風一過の快晴だった。私は高原のなだらかな丘をいくつも上ったり下ったりしながら丸一日をゆっくりと歩いた。高原を歩いていると高原そのものになる。私を覆う空に雲が流れ、私に風が吹く。私を覆う草は風が吹くたびに柔らかく靡き、靡いた草の葉先から天道虫が飛び立つ。私は何だか悲しいような気持ちになる。高原のどこからも今日限り、今日限り、という声が聞こえてくるからだ。
マツムシソウが花を咲かせている。この薄紫の高原の花は咲いた途端に青空と区別が付かなくなる。花虻が何匹も、マツムシソウの花にしがみつき、一心に蜜を吸っている。ひとが近づいたくらいでは全く動かない。指を近づけても動かない。台風が過ぎ去るまでの間どこかでじっと耐えていた彼らは飢えきっており、たとえ指でつままれたっていま蜜から離れるわけにはいかないのだ。私は自分の中に眠っている切羽詰まった恋を思う。金色の産毛の生えた腹は艶を持ち、粘りのある蜜をじんじん蓄えてゆく。私は花虻となって大空に溶けていきそうな花にしがみつき、自分の命のことも思う。命はいつだって死と同量だ。こんなふうに恋しながらある日ふと死の側に移るのだろう。そんな当たり前のことがこの頃になって腑に落ちる。身体を満たしてゆく蜜が身体の形を私に教え、私はその快さに震える。もうすぐ飛び立てそうな気がする。
夏はもう去ろうとしており、この夏は戻ってはこない。もし花虻たちに名前があったなら、秋の高原は彼らの小さな墓碑が無数に並ぶことになるだろう。季節が巡るというのは嘘だ。一度去ったものは二度と戻ってはこない。透明な墓碑で埋め尽くされた高原に草が靡く。