自分を拡大する表現の試み

吉川宏志 / かりん03年6月号

 

『太陽の壷』を読みつつ、川野里子は表現を突出させながら、従来の自分を超えようとしているのではないかと感じた。歌に等身大の自分を詠むのではなく、もっと自分を拡大しようとする姿勢が見られるのである。

 

 多忙といふ時間罌粟のごと広がりて罌粟の実の我は駅へ走れり

 

 ざらざらとざらざらと雨は降りてをりからだの内部に外部にやがて暗部に

「相州江之嶋之図」 

 江ノ島のもがくがごとく生えてゐる國芳が絵に生えたりわれも

 

 歌集の初めのほうから三首を引いたが、このような畳みかける文体は『太陽の壷』の随所で見ることができる。

 一首目はこの歌集の巻頭歌である。上句は、めまぐるしい多忙な時間を、ケシ畑のくらくらするような極彩色にたとえている。これはイメージしやすい比喩だろう。しかし「罌粟の実の我は駅へ走れり」とさらに比喩を重ねられると、かなり強引さが生じてくる。このように無理に「我」を出さなくてもいいのではないかとも思う。だが、自分を強く出さずにはいられない必然性がこのときの川野にあったことは押さえておきたい。

 三首目も同じことで、浮世絵に描かれた江ノ島を「もがくがごとく生えてゐる」ととらえた表現はおもしろい。しかし「國芳が絵に生えたりわれも」と、さらに「われ」を出したため、歌としては窮屈になってしまっている。

 また二首目は、何度も言葉を繰り返すことで自己の「暗部」に踏み込もうとしており、もがくような苦しさは伝わってくる。ただ「外部」「内部」「暗部」という語が、記号的に使われているために、内面の闇の深さはそれほど感じられない。

 

 ががんぼが足を垂らして浮かぶときしづかに方位を帯びる夕空

 

 迅速に一人子は育ち独りなり階段を傘で叩いて昇る

 

 本来、川野里子はこのような落ち着いた味わいのある歌をつくることができる歌人である。第一歌集『五月の王』には「あめんぼの足つんつんと蹴る光ふるさと捨てたかちちはは捨てたか」という伸びやかでペーソスのある歌があった。一首目の「ががんぼ」の描写は、この「あめんぼ」の歌とのつながりを感じさせる。

 現代人の私たちはふだん「方位」をさほど意識せずに暮らしている。しかし太陽が沈むとき、西という方角はあきらかに目に見えてくる。「しづかに方位を帯びる夕空」という表現は理知的であるが、言葉の続けがらに無理がないので、読者の感覚にすっと入ってゆくはずである。

 また二首目は「階段を傘で叩いて昇る」という少年の動作が鮮明にとらえられていて印象に残る。「一人子は育ち独りなり」と、ここにも「ひとり」の繰り返しがあるが、その孤独感が下句の描写でうまく受け止められていて、くどい感じはしない。

 しかしこのようなさりげない歌は、『太陽の壷』にはそれほど多くない。むしろ、過剰な文体を使うことで、今までとは異なる〈我〉を生み出することに主眼が置かれているのである。

 

 すつぴんの顔をあげたりわたくしに朝顔のやうな余白がありて

 

 夫とわれくわと蝌蚪のごと寄り魚の目玉を食べよなど子に迫りをり

 

 われいつかめつぽう間抜けなヒヨドリとなるまで森に帰らぬ覚悟

 

 「朝顔」や「蝌蚪」や「ヒヨドリ」といった生物に自分をたとえた歌も、歌集の第Ⅰ部には散見される。「すつぴん」や「めつぽう」といった俗語を歌に取り入れることにより、生物に変身した奇妙な感覚を、リアルにあらわそうとしている。

 こうした試みはかなり成功していると思うのだが、無理をしているという印象もやはり持ってしまう。一つはリズムの問題で、この変わった感覚を読者に納得させるには、わずかに力が弱いのだ。たとえば二首目を口に出して詠んでみれば、リズムがぎくしゃくしており、子に迫っている感じが出ていないことがわかるだろう。また三首目は、「森に帰らぬ覚悟」という結句が惜しい。めつぽう間抜けなヒヨドリ」という表現はユニークなのだが、結句が付け足しめいて響くのである。歌のリズムは恐ろしく正直で、ためらいがあるときはそれがそのままあらわれてしまう。

 このように、『太陽の壷』の第Ⅰ部では、作者の意図はよくわかるものの、表現がやや上滑りをしている印象を、私は受けたのである。ところが第Ⅱ部の父の死を描いた一連で、表現が作者の現実に追いついていく。

 

 怪我せし手バンドエイドもそのままに亡骸の父の傷癒えぬまま

 

 わが前に白きおにぎりの列つづき食べ終はらねば夜は明けぬらし

 

 どこか遠くで象が鳴きたり象もあ吾もひとつづつ己が柩を背負ふ

 

一首目の死者の傷が癒えないという発見は(先蹤はあるかもしれないが)インパクトが強い。そして、「そのままに……傷癒えぬまま」と、「まま」を繰り返す破格の文体が、傷を見てしまったときの作者の心の揺らぎを鮮やかに映し出している。

二首目は通夜に出される夜食のおにぎりを素材にしているのだろうが、このように表現されると、昔話のような不思議さが生まれてくる。悲しいユーモアのある歌で、生きている者は食べ続けなければならない悔しさがにじみでている。

三首目もやはり不思議な感じのする歌で、父の死を詠んだ一連の中に置かれると、哀切さが深い。「どこか遠くで」という入り方がいいのだろう。だれもが死を背負っていることはわかっているものの、やはり死を受け止められず、茫然と遠くを眺めている感覚がじんわりと伝わってくる。

 

 父の墓だれにも知らせずも守る母のもの狂ひ 白き一本の樺

 

 死んだならまた父さんに逢ふといふ母は葛にて一夜に伸びぬ

 

 生と死の境界を超えて絡み合ふ葛となりつつち亡と母あり

 

父の死後は、残された母の生が川野里子の大きなテーマになる。「父の墓だれにも知らせず守る母のもの狂ひ」「死んだならまた父さんに逢ふといふ」といった表現から想像すれば、母は死んだ父を独り占めするような態度をあらわにするようになったのであろう。そのような母の執着は、それまで川野が抱いていた母の印象を覆すものであった。父の死によって、父と母の間にあった依存関係(それを愛情と呼んでもいいが、ややきれいすぎるようにも思う)が初めて見えてきたのである。川野はそれを「生と死の境界を超えて絡み合ふ葛」とたとえているが、恐ろしいイメージである。

 

 簡単にまとまる生と思ひたるに老母おそろしざらざら茂る

 

 趣味から趣味へ命がけなる綱渡り続けて母の生き残るなり

 

おそらく父が生きている間は、母は目立たないおとなしい存在だったのだろう。「亡き父が知りゐし母は包まれてひひな雛のように大切 に闇に」と詠まれているように、父は母を庇護するように生きてきたのだと思われる。そして家族は知らず知らず、父がつくった〈枠〉に入れて母を見てきた。ところが、父の死後、母はその〈枠〉からはみ出して生きはじめる。〈枠〉の中で「簡単にまとまる生」と思っていたのに、生きる理由を求めて、のたうつように生きている。その姿には、亡き父が疑わなかった「雛」のようなイメージはもうない。「趣味から趣味へ命がけなる綱渡り」という冷徹な表現は、趣味への関心が失われたとたん生きる意欲が消えてしまう人間の危うさを、みごとにとらえている。

 

 冷たあい、と母叫ばせし躰なり亡父がこの世に忘れゆきしは

 

 独りや家に独り餅つく母はゐてわつしよいわつしよいこの世が白し

 

 ありがたうありがたうありがたう水銀粒ほど母縮みゆく

 

 しかし、川野は母を哀れな存在としては見ていない。予想を超えた老いのエネルギーに畏怖しつつ、「もの狂ひ」を肯定的に描いているように思う。父の死後、急速に〈我〉を広げて生きている母の様子に、生の不思議さや可能性を感じたからではないのだろうか。「冷たあい」「わつしよいわつしよい」「ありがたうありがたうありがたう」など、母の断片的な言葉を取り入れることで、老いの奇妙な存在感を、歌の中にうまく定着させている。

 そして、母を通して生の厚みや豊かさに触れたことが、ほかの歌にも影響を及ぼしているように思われる。

 

 牛に生まれし喜びはしづか歩むとき蹄の間より泥がしみ出す

 

 ごんごんと金属の電車くるまでを手のひらの蟻と友達である

 

 玉手箱 あるときわれは霧として夫を濡らしぬ夫の一生

 

 どれも不思議な感覚があらわれた歌である。一首目は「蹄の間より泥がしみ出す」という描写がみごとなのだが、ただ観察しているだけの歌ではない。「牛に生まれし喜びはしづか」というストレートな上句が意外な効果を持っており、牛と自分が一体化したような身体感覚が生まれている。

 二首目は「手のひらの蟻と友達である」という表現のおもしろさに目がいくが、この歌の本当のよさは上句にあるのだろう。電車が金属であるのは当たり前だが、それをあえて「ごんごんと金属の電車くる」と表現したところに、電車の重く冷たい質感がうまくあらわれている。

 玉手箱の霧が浦島太郎を老人にしたように、自分も夫を老いさせてゆく霧――時間――なのではないかと詠む三首目は、奇抜な発想だが、哀しい歌である。若い日々が過ぎた夫婦の機微に触れており、印象深い。

 この三首はどれも、かなり思いきった表現がなされているが(二首目の口語調、三首目の初句切れなど)、初めに挙げた第Ⅰ部の歌のような窮屈さや強引さはない。言葉が自然にうごいている感じを受けるのである。私は「川野里子は表現を突出させながら、従来の自分を超えようとしているのではないか」と冒頭に書いたが、その試みが結実し、先行する表現を裏打ちする形で新しい自分が生まれてきているように思うのである。自分の歌のスタイルを変えるのは生易しいことではない。それが急であればあるほど苦痛を伴う。『太陽の壷』を読むと、苦しみながら歌のつくり方を変えようとする意志の力が、強く迫ってくる。この歌集の最大の魅力は、この切実な表現欲にあるのではないだろうか。

 歌集の終わり近くに置かれた、アフガニスタン戦争やイスラエルの侵攻を詠んだ歌に最後に触れておきたい。

 

 平均寿命女四十四、男四十三 あかねさすあかねさす哀しき「敵国」

 

 死後の生の豊かな国はかなしかり砂漠に乏しき桃咲くアフガン

 

 十三歳を撃ちたる兵は何歳かベツレヘム人に歳さへもなき

 

 イスラエルの兵士と息子は向き合へり十七歳をテレビがわかつ

 

 このような年齢を切り口にした歌に独自性があると思った。年齢は単なる数字ではなく、生の厚みであるはずである。三首目の「人に歳さへもなき」という認識は、人間から時間の蓄積を奪っていく戦争の冷厳さを、間接的ではあれ、的確にとらえているようにおもう。「平均寿命女四十四、男四十三」は無表情な数字のデータであるが、そこからどこまで生の実感を汲み取ることができるのか。あるいはできないのか。情報化された戦争に対する川野の問題意識は、声高に反戦を主張するのではないが、針のようにポイントをとらえている。