「ネット短歌」のあとに

毎日新聞2004年2月29日(地方によって異なります)

 

男性歌人による第一歌集が相次いで出版され静かな話題を呼んでいる。

 

 ブレーキが悲鳴をあげて恥ずかしい もうぢき海のかがやく斜面

 

 魚村晋太郎の『銀耳』は、塚本邦雄や岡井隆の前衛短歌を古典として摂取した跡が伺える。前衛短歌の技法を当たり前の産土として育った魚村は、技術そのものより生身の情緒を言葉にどこまで刻むことができるかに興味をもっているように見える。レトリカルな文体に「恥ずかしい」の一語を植え付ける言語感覚が新鮮だ。

 一方、正攻法で大きな主題に挑むのが本田稜の『蒼の重力』、矢部雅之の『友達ニ出会フノハ良イ事』だ。

 

 綿のごとき霧の中行くおのれとの絆あらたに結び直して

本田 稜

 「樹立」とふ言の葉ざわつと戦がせてアフガンの風我を呼ぶかも  

矢部雅之

 

 本田は登山家として自然に真向かい、矢部は報道カメラマンとして現場に身を晒す。いずれも確かな技法に支えられ、躰と言葉とをまるごと世界にぶつけてゆく。確かな自分を持たねば霧に呑まれてしまう山、仕事場である混迷するアフガン。臆することなく自然や戦争や世界を問い、「私」の輪郭を確かめる。従来なら主題主義と言われかねなかったスタイルが今新鮮に見えるのはなぜだろう。

 これらの歌集は技術を当たり前とし、そこに何を加えるかを競っている。生身の温もりや世界や自然の手応えによって、自らの在処を確かめるかのようだ。時代と社会の激変の中で身動きが取れなくなり口ごもりがちな先行世代や、バーチャルなイメージの尖鋭さを競い、ともすれば言葉と技法に籠もりがちないわゆる「インターネット短歌」。それらを見つつ育った世代が、自らの道を模索し、それ以後の時代を始めようとしているのかもしれない。