毎日新聞2004年1月11日(地方によって異なります)
ひさかたの空ゆ世阿弥の涙降り舞ふすべあらぬ春は来なむか
面ひとつたづさへ来たる配流とは月を抱ける常世の旅か
水原紫苑の第六歌集『世阿弥の墓』より。『花伝書』などで知られ、透徹した意志と強い知力を感じさせる世阿弥だが、水原が描くと何とも優しく儚い男になる。春の優しさに涙し、配流の心細さを常世と呼び、時や自然の移ろいに溶け込むようだ。中世という厳しい時代を生きた世阿弥の魂を宥めるような添い方が印象に残る。追いかけるように刊行されたエッセイ集『京都うたものがたり』でも、和泉式部や建礼門院などの悔しく苦しい魂を呼び出し自在に語らう。
あおむけに水に浮くときひっそりと背中のまなこ開くと思へり
光太郎の大きな足が踏みし道きゅうきゅうと泣く智恵子の時間
梅内美華子の第三歌集『火太郎』では躰の感覚が駆使される。それも背中や足の裏など、日頃意識しない身体の裏側で鋭敏に闇と接する。普通は見ることのないものを見る背中の眼。<私>を浮かべている水は<私>自身のように寂しい。高村光太郎の人生の犠牲になったかもしれぬ智恵子への見方も、抑圧者と被抑圧者の図式ではない。愛の苦しさが体の苦しさであるような感覚として詠まれる。
水原も梅内も理念や観念によって対象を切り取るのではなく、写実のように目に見える現実を写すのでもない。感覚や感性を鋭敏にし、いわば水のように対象に浸透してその痛みや温もりを引き出すのである。
折口信夫が写実主義に覆われてきた近代以降の短歌を憂い、女性の歌の伝統の復活を願って「女流の歌を閉塞したもの」を書いたのは一九五一年であった。それから約半世紀。こんなやわらかな自在な<私>が自然に短歌表現を深め広げている。