棲み分けを越えて

毎日新聞2003年10月12日(地方によって異なります)

 

 君以外だれも容れずにびんと鳴る弓弦のごときわれの右側

 

 金泥の眼もて泣きゐる面に対きわが剥落の箇所を押さへつ

 

 松本典子の『いびつな果実』は、恋をテーマとした近年珍しい直球勝負の歌集だ。受動的、物語的な恋ではなく、恋を主題とするときに立ち上がる∧私∨が関心の中心となっている。∧私∨の輪郭や奥行き、その変化に作者自身驚きながら言葉と出会っている。能に関わる日常から、「弓弦」や「面」などの小道具や舞の所作が場面を膨らませる。短歌の懐にまっすぐ飛び込み、伝統的な技法や主題に臆しない姿勢がむしろ新鮮だ。

 

 人間のあぶらをつけて蘇る始発電車の窓という窓

 

 ああなにをそんなに怒っているんだよ透明な巣の中を見ただけ

 

 松本と対照的なのが盛田志保子の『木曜日』だ。盛田はインターネットから誕生した歌人であり、口語を駆使した文体で世界への違和感や驚きを刻んでゆく。シャープに事物の深部に刺さってゆく比喩が読みどころだ。二首めは巣を覗かれて驚く雛のイメージに、繊細で自閉的な若者の心が重ねられている。世界との距離の自在さ、豊かなイメージによって、見えにくいものを言葉に掬う。

 最近こうした作品の性格の違いが読者を分け、同じ土俵で批評される機会がなくなっている。嗜好によって読む読まないがあらかじめ決まってしまうのだ。しかし、そうした棲み分けがいいとは決して思えない。今日の第一歌集は方法論の是非を競うのではなく、それぞれが出会った方法を基点に、どこまで確かな世界を築けるかを競っている。∧私∨や世界に向けての語りかけに、驚くほどの率直さを見出すことができる。何かが仕切直しされた感触がある。

 だからこそ、嗜好を越えて同じ土俵で真偽を問い、深浅を吟味する厳しく創造的な読み方が求められている。