反「中央」のリアリティー

毎日新聞 2003年1月26日(12版)

 

東京がどことなく元気がない。憧れるにせよ憎むにせよ「東京」は表現する者にとって刺激的な場だったはずだ。ところが最近「東京」に何をイメージすればいいのかどうも思い浮かばない。東京に限らずかつて中央と呼ばれた場がマンネリ化し、求心力を失っている。反対に、これまで周辺と呼ばれた場で人間的な活気ある言葉が育まれている。そんな実感を強くする二冊の歌集に出逢った。共に三十代の第二歌集である。

 

 君の空そのどこにわれは据ゑられて雨中帆を張る苦しみにゐる

『東北』大口玲子

 青いサイロのてつぺんに立ち草を踏む、休みなく踏む我が重たし  

 

 大口は自立と愛、東京と東北の間で揺れながら自らを模索する。愛の中で自分を見失いそうな不安と闘う一首目。農場という場を得て力強く自らを確認する二首め。いずれも感情や感覚が鮮明で、昨今の「私」探しのゲームのようなひ弱さとは格段に違う。苦しみも喜びも開かれ、呼びかけを秘めている。タイトルの『東北』は、結婚を機に選んだ生活の地であり新たな言葉の磁場である。

 

 ブロック塀食べて生きてるまいまいは太りて夏の盛りを越えぬ

『キンノエノコロ』前田康子

 土踏まず持たぬ人形ぱったりと倒れて子らは外へ出かけた

 

前田は子供を育てる時間に独特の世界を見いだしている。情報がせわしなく行き来し、より大きなものや強いものが跋扈する「中央」を意識的に拒んでいる。「まいまい」のような命の凄さに向き合い、動かぬ人形と共に子供のめまぐるしい命を記憶する。より小さいもの、弱いものに可能性を見いだし、見落とされてゆく世界の細部を慈しむ。それが命を確かめることだという主張がある。

 

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