シェイクスピアは誘う

— 河合祥一郎著 —

『デンタルダイヤモンド』

 

秋になると不思議に演劇や音楽会などに心惹かれるようになります。チケットを買っておかなかったことを悔やみつつ、さて、せめてシェイクスピアでも囓ってみようか、と思います。と言っても今さらあの大家の膨大で難解な作品の山を読破しようというのではなく、その中のエッセンスである名台詞を解説付きでぱぱーっとおさらいしてみようというわけです。

 シェイクスピアの台詞を解説した本は数多いのですが、私はピーター・ミルワードの『シェイクスピア劇の名台詞』(講談社学術文庫)の臨場感ある場面解説を愛読してきました。今回ご紹介する『シェイクスピアは誘う』は、さらに軽快にシェイクスピアの世界を駆け抜けながら、ユーモアや皮肉を交えてその奥深さを解説した本です。台詞の断片を知ってはいても、その意味は?背景は?となると今ひとつはっきりしないことが多いですね。

 例えば「尼寺へ行け!」という台詞、有名ですね。私はてっきり、お前のようなつまらぬ女は尼寺へでも行ってしまえ!という意味だと思っていました。さらには淫売宿へでも行ってしまえ!とする説もあるそうです。さにあらず。この台詞は「俺たちはみなならず者だ。誰の言うことも信じてはいけない。尼寺へ行け」と続くのです。数々の陰謀渦巻く世界でただ独り清らかなオフィーリアを守ろうとするハムレット。その言葉には、「愛すればこそ彼女を突き飛ばす、そんな矛盾に満ちた」青年の心、「『正しく生きよう』という理想に支配されたがゆえの青年の悲劇」が表現されていると作者は語ります。

 シェイクスピアの作品は今日でもたくさんさまざまなな演出によって演じられ、映画化もされ続けています。つい最近でも、アル・パチーノがシャイロックを演じた『ヴェニスの商人』はなかなか厚みのある出来映えでしたし、ケネスブラナーの美しい台詞回しが印象に残る『ヘンリー5世』も名演でした。シェイクスピア劇がこれほど長く愛され続けるのは、複雑きわまりない人間社会を生きながら、怒り、愛し、哀しむ私達自身の生が色濃くそこに息づいているからでしょう。

 「人間、生まれるときに泣くのはな、この大いなる阿呆の舞台に上がってしまったからなのだ」と嘆くリア王、「そして僕のは悲しい役回りさ」と語るヴェニスの商人のアントーニオ。それに対して「じゃあ僕は道化を演じよう」とおどけるグラシアーノ。悲劇と喜劇が混在するシェイクスピアの世界の面白さを、作者は自在に軽快に解説してくれます。