大分合同新聞
里山の竹を刈り竹灯籠を作って点す祭り、豊後竹田の竹楽を見るために帰省した。竹田は過疎に喘ぐ町。私も郷里を寂しくさせた一人である。独り棲む母への後ろめたさは、町への申し訳なさと重なっている。高校時代よく歩いた古い町並みの小路にびっしりと並べられた竹灯籠は、日が沈むころには灯の川となって人々を誘う。武家屋敷の灯の川を漂い、広瀬神社の石段を流れ下る光の滝を見上げ、愛染堂を染め上げる火の色に包まれる。私はまるで見知らぬ町を歩いているようだ。
この小さな城下町の路地を埋める灯は二万個にのぼるという。灯の数は町の人口をはるかに超える。町中のボランティアが点灯を手伝うと言うが、もしかするとそれよりさらに多くの姿のない人々が灯となって集っているのではあるまいか。心だけを残して離郷した人、帰郷の叶わぬ人、そして亡くなった人たちも。この小さな城下町は声にならぬ声、言葉にならぬ言葉、過去と今を生きる人々で満ちている。
竹楽の灯は一つ一つが名前を持っている。誰かを悼み、誰かを祝い、誰かを祈っている。十六羅漢の姿をかすかに浮かび上がらせる灯は、羅漢の喜怒哀楽を見つめており、神社の石段をうねり下る灯は夏祭りの子供たちの足跡の記憶を辿っている。私は私の思いと記憶と私自身に相応しい一つの灯をこの二万の竹灯籠のなかに訪ねて歩くのだ。
亡父の灯の傍に母の灯揺れてゐるふるさとの灯の祭り明日果つ
竹楽の灯を瞼に焼き付けながら、私は東京の夜景を思う。飛行機が夜の東京湾上空を旋回しつつ降下してゆく時、関東平野は寂しい全裸を闇に晒している。砂漠の砂粒一つ一つが灯るかのような広大な都市の夜景。砂塵となって湾に流れ込み、また湧いては消えてゆく光の嵐。この光には名前がない。明日また私はその中の一粒となりにゆくのだ。