いま、愛の歌 7

— 歩まずともよし —

読売新聞02・10・27

 

携帯が鳴る。母からだ。今駅から家まで歩いているところだと答えると、夜道は危ないから家まで送る、と言う。あなたの靴音が聞こえる、と母は耳を澄ます。笑っていなしたけれど、人気のない夜道で母の声を聞いているのはやはり快い。遠くに電話ボックスが灯っており、そこに母が待っている気がする。

母は独り暮らしだ。父が亡くなって二年経ち、ある日泣くことをやめた母は、死んだ父と暮らし始めた。仏壇に行って来ます、と声を掛け、父の写真と向き合って食事をし、父の好みを守る。お父さんが寒がるから、と肌身離さず持ち歩いている小さな骨壺を毛糸でくるんだ。この世とあの世の境に腰を落ち着けた母は、亡き人との愛を遂げようとしていた。そんな母の孤独を遠く見守るほかない私は、愛の惨さを思う。しかしまた、これで良いのだとも思う。

 

 もう歩めぬといふ母は歩まずともよし 楠の木の思慕濃ゆく生きし百年の樹下 

川野里子

人にはもう歩めぬということがあるだろう。荒々しく過ぎてゆく時代の奔流をはぐれた母は、一人への思慕に生涯を費やす。大きな樹の下で立ち止まると、そんな思慕の時間の濃さが思われ、多くの人々の愛の静謐を見上げている気がする。

電話を切ると夜道はまた暗くなった。通り過ぎる時ちらりと眺めるが、電話ボックスは空だ。

 

 かき消えし家族は時のかなたより母を見てゐつ独り居(ゐ)の母

川野里子