初出「ひょう」97年61号
海外詠という、経験としては日常化しつつある主題には、今、旅行詠などの見聞記以上の何かが期待されているだろう。それはわたしたちはいまどのようなところに立ち、何に拠って言葉を立ちあげようとしているのかという切実な自己像への問いかけと重なりながら作られ、また読まれているのではなかろうか。自分とは誰かという問いと言葉のありかを問う問いは時にひとつである。海外詠という大きくなりつつある一ジャンルの中にはこれまでの短歌史の葛藤のいくつかが思いがけなくその切り口を露にしている。
うち群れて泳ぐを見ればアジア種の黒き髪かな吾子たちの髪
河野裕子
錯覚かと幾度も思ふイギリスのある種の敵意八月忌来ぬ
渡辺幸一
ああまるでをみなのことを言ふやうに月花もて括る日本のことを
米川千嘉子
椿見ぬ春はさみしきうすくうすく紅さし死ののちも日本人
小島ゆかり
ここには海外に暮らすという経験が意識的にいくつかの角度から表現されている。プールで群れ遊んでいるさまざまな人種の子ども達。水に濡れぺっとりと頭皮に張り付いた髪はいやでもはっきりと人種を見せつける。自分の子どもがモンゴロイドだったとあらためて気づく瞬間である。河野にはほかに『ひらがなでものを思ふは吾一人英語さんざめくバスに揺れゆく』とも詠い、異文化の中で自らを造り上げているものを確認し、そこに思いを寄せて行くように見える。渡辺は現在イギリスに暮らすが、終戦のころになると感じる現地のまなざしは錯覚ではなく厳しいものが含まれているのだろう。錯覚か、と語り始めるところにむしろリアリティーが生まれている。八月は日本では敗戦記念日だが、イギリスでは戦勝記念である。この差はあたりまえのようだが大きい。アメリカでは戦争中連合軍によって撮られたフィルムなどが連日テレビで流され、そこにはジャップと呼ばれる皆同じ顔をした兵隊がてらてらと笑う。ナチスと並んで日本の過去が炙りだされる場面に置かれることで、作者は否応なく過去と結びついた自らの所属を問われることになる。米川は逆に自らを古き良きオリエンタリズムに閉じこめようとする日本観を嘆く。よく経験することだが茶道や華道や折り紙など普段は自分の生活に縁遠い日本文化を当然のことのように背負う羽目になり、その記号のようなジャパネスクのお仕着せをなかなか脱げない。本当の日本は違うのだ、少なくとも自分は違うのだと言葉にならない言葉を抱え続けるのである。それはまるで讃えられつつ理解されない女達のようではないか、と女性史に重ねられた憤りがくきやかな自己像を結んでいる。また小島の歌では、日本人としての運命への物思いが淡い屈折と郷愁をともなって表現されていよう。死んだのちにも日本人であるという自覚は、不在の椿のぽってりとした花の記憶と重なって落ちついた、しかしなにかもの悲しいアイデンティティーとして現れている。
ここでは異国という他者との出会いによって浮かび上がる日本人、あるいは東洋人としてのあらたな自己像が描かれているといってよいだろう。それは否応なく自分が、あるいは自分を違和とする世界への返答として、あるいは押し戻しとして現れた自己像だといってもいい。こうした他者との出会いがもたらす自己像を今日的な収穫としてわたしは大切だと思う。しかし、反面、こうした鮮やかな自己への自覚がもたらす像のわかりやすさにわずかな危うさも覚えるのだ。こうした歌にみえる海外に暮らすという体験がもたらしたものは、若者文化を中心に共時的に広がっているかに見えた世界の足下にある枠組みにもう一度われわれを引き戻すことだったようにも見える。それは後にも触れるが重要なことだ。しかし、むしろそれゆえに、もしそこに日本人であり東洋人でありといった枠組みがあまりにもわかりやすく現れるとしたら何か危ういのではないか。短歌という求心力の強い詩形が、わかりやすい自己像の枠組みと一つになることによって、今を生きる私の不分明な、それゆえに可能性のある部分をたやすく吸収し満足させてしまうことは十分に畏れねばならない。この自分の内面をつくりあげているごろごろとした矛盾そのものにいささかでも言葉を与えるために、ことに八十年代、九十年代前半の自在な口語によって開かれた自由にみえる自己像とここにあらわれた自己像がいまどのような関係にあるのかについてここであえて対比的に考えてみたいと思う。
神に武器ありやはじめて夏の朝気体となりし鉄と樹と人
加藤治郎
ぼくたちは勝手に育ったさ制服にセメントの粉すりつけながら
サバンナの像のうんこよきいてくれだるいせつないこわいさみしい
穂村弘
ほんとうにおれのもんかよ冷蔵庫の卵置き場に落ちる涙は
ここに揚げた作品に、八十年代の気分を語り、エポックメーキングとして位置づけることは誰もが承認するだろう。またこの自由な口語が高いレベルの詩語に昇華されて市民権を得たという修辞の収穫としても記憶できる。わたしたちは確かにこうした気分を共有し、このような時代を生きた、という共感とともに。しかし、こうした八十年代の気分に膨らんだ歌が開いた世界はそれだけだったのだろうか。いまふたたび語られ尽くしたかの感のあるこうした作品を問題にしたいと思うのは、ここにボーダレスな共感を生みうる感性や視線を感じるからだ。またこの感覚的な共時性の行方を問うことは意外に重要なことではないかという気もする。加藤はあの文体を携えてヒロシマを被爆国の肉声や感傷から人類全体への問いとする地平へ連れ出した。そこで文体とともに重要だったのは、国籍のない〈神〉の視線を意識するという回路を用意したことだろう。・ぼくたちは勝手に育ったさ・は価値観念としての父と呼べる存在を喪失した世代の宣言だ。淋しくも明るい無軌道の中での自己の立ち上げ。こうした感覚は、例えば『ガープの世界』のジョン・アーヴィングなどには最も近いかもしれない。二十世紀の二大事件としてヒロシマと、ジョン・レノンの暗殺を取り上げた彼の感性がどこの国に所属していたのかという問いを立てること自体おかしなことだろう。加藤は自らの叙情のありかを人類という単位に置こうとしているように見える。
穂村はさらにそうした世代の内面に分け入って、何もかも満たされた虚無感の中での魂の在処への手探りをする。〈だるいせつないこわいさみしい〉、この驚くほど裸な、また子供じみた感傷は帰る場所のない感傷だ。従来の物語の中で、あるいは言葉の襞の中では吐露できなかった感傷はサバンナの象の糞などへ投げ出されるときはじめて普遍的な説得力を持つ。この感性は、従来の所属意識や言葉の記憶に属しない。むしろ今日の先進国で生活する若者ならば理解しうる、同時代的な共感を呼ぶものだろう。
英語にバナナというスラング(俗語)がある。アメリカでの生活に慣れ、嬉々として白人社会の生活習慣に馴染もうとし、またそのひとつひとつを心地よく思い始めていた頃耳に挟んだ言葉である。意味は、中身が白く外が黄色いバナナから、中身が白人でありながら依然として皮膚だけが黄色い東洋人のことをさすらしい。もちろん侮蔑の意味がこもる。1993年の同じ頃、吉本バナナの小説『キッチン』が英訳され、何週か連続でトップの売り上げを飾っていた。新聞での書評では、国境を越えた若者の現代に対するアンニュイと評価され、多くの人種が集うサンフランシスコを中心とする地域の若者の共感を得ていた。バナナというこの東洋人の若い作家の名前はそれを読む人々にどのように響いたのだろう。バナナ、冗談だろという感じだろうか。バナナはバナナとしてとうに市民権を得ているのだから、という了解か。日本の新世代もここまできたかという感慨か。しかしおそらくバナナの小説は作者の国籍など問題にしないひとびとによって読まれ、共感されていったのではなかったか。このちょっとしたエピソードは、私自身に意外に深く刺さり、私は誰かという問いとして今日まで残っている。穂村はむしろバナナであることのほうを自己像とする感性に近いだろうか。あるいは味噌汁や納豆を食べてきたようにコーラを飲みハンバーガーを食べて育った、という感覚と近いかもしれない。私自身も味噌汁や納豆が本物の食べ物であり、コーラやハンバーガーが偽物であると即座に断言するような説得力ある根拠は持たない。ここでは国籍や旧来の社会の記憶よりも共時的な時代意識や世代感覚のほうが共感や問題意識の根拠となっていよう。私自身の外見はもちろん黄色い。まちがいなくわたしはバナナに見えるだろう。しかし中身はどうか、白い、かもしれない、しかし黄色いかもしれない。あるいはもっとちがった混ざりものの、得体の知れないなにかであるかもしれない。少なくとも言葉を立ちあげてゆくこの得体の知れない現場としての私はそれほど単純ではない。
しかしこうして獲得された共時性、平面的に広がりのある感性は、一方では自らの生活の場としての、あるいは育みの場としての歴史性や連続性を遮断したところに生まれていることもたしかである。情緒の広がりの場としての豊かな現代性、風俗性を取り込んだ言葉は、自らの歴史性というもう一人の他者との出会いを拒むことを積極的にテーゼとして現代の痛みを探り当てたともいえるのではないか。ここでもう一度先の海外詠に現れた輪郭の鮮明な自己像のことを考えてみると、そこには、歴史的に自分を構成しているものに否応なく出会うという体験から発したもの想いが明らかだろう。渡辺の戦争によるわだかまりの体験もそうだし、米川の美化された日本像への違和感もそうだ。小島の椿への思い入れには椿が蓄えている言葉としての厚みへの郷愁がみえる。ある地点で曖昧になりあるいは振り切る対象となった歴史性が海外というフィルターを通じて取り戻されるという、社会的な現象が短歌の上でも再現されているようにもみえる。しかし、共時的な共感を呼びうる感性と歴史的な自己像への自覚は互いに相いれないものであるしかないのだろうか。ここで、共時性と歴史性とがある対立関係を持つとすれば、それは、双方の〈私〉が固定し言葉が楽になった地点ではなかろうか。そのことこそ私は危惧されるべきだと思うのだ。歴史性を逃れることで自由になった言葉が、加藤や穂村が掲げて見せたアンチテーゼとしての重みも失い、言葉や技法としてひろまること、言葉が言葉としてのみ一人歩きすることは、まさに自己の在処を危うくすることであろう。繰り返すなら、加藤や穂村には、歴史的なつながりを共時的な普遍性に繋げ替えるという力技の痛々しい痕跡があり、そのことによって独自の文学たりえているのだ。また、逆に現在の海外詠に問われているのは、安易な歴史性への回帰によって自己像を再建しない注意深さだろう。それはいまの私たちの裸の心と感性とを直視するチャンスと勇気を放棄することであり、海外という衣にくるまってふたたび旧来のアイデンティティーの殻に閉じこもることになることだからだ。日本と日本語が私たちに無難なアイデンティティーを差し出してくれるような予定調和の故郷であるなら、わたしたちが海外でこれからも歌い続けるのは海外の珍しい風光と母国への郷愁であれば事足りるだろう。そうではなく、わたしたちは、私たちをやすやすと何ものかにしてしまう言葉の枠組みを踏み越えたところで〈他者〉に出会うことを必要としているのではないのか。必要とされているのは、異国と祖国、東洋と西洋などといったわかりやすい旧来の構図を内側から壊し得るもう一歩踏み込んだ何かだといえるかもしれない。
私はいま、ことばを抱えてどこへ行こうとしているのか、どのようなところに立っているのか。いくどでも私はこの問いに立ち戻りたいと思う。海外は日常の延長であるという一足飛びの楽天主義も、また反対に東洋対西洋といった明治以来のアイデンティティー模索の構図も無効なところでわれわれは自分の記憶の内にあり、自分自身を構成している言葉を背負ったまま裸で砂漠に立ちニューヨークをさまよいしているのではないだろうか。歴史性と共時的な普遍性の交差する地点、その見極めがたい地点に立ち目覚めていること、苦しみつつ感性を裸にしている歌をこそ私は大切に思う。
国といふ悲しみたがる精霊を人は飼ひゐて空港に風
米川千嘉子
てのひらにふと傷みあり窓とほく十字架は昼の空を刺しをり
小島ゆかり
根つめて生きて何せん砂降ればまず汚れゆく直き椰子の葉
三井修
ニューヨーク、ニューヨークああゾンビよりあをくせつなし夢のふるさと
坂井修一