与謝野晶子論

— 「血」と近代 —

初出「現代短歌雁」46号

 

(『未知の言葉であるために』所収)

 

 近代において一つの言葉がどのような登場をし、どのような意味を持ったのかを考えることは、ごく漠然と近代と呼びイメージしている時代のカオスにささやかではあってもなにがしかの具体を与えるものだろう。そしてさらに考えるなら、今私たちの周りに漠然と漂っている言葉への不信感、捕らえどころのない言葉の役割についてヒントを与えてくれるものであるかもしれないとも思う。詩の平原にとって言葉は全く深く個人のものであるが、しかし、同時に時代と社会とある共同体によって共有されるものだという相反する性格を持つ。そうした性格をもたない言葉のインフレーション、想像力の放縦と増殖は言葉自体の生命力を弱らせるものだろう。反対に貨幣のように記号のように個人に抱かれることのない言葉を私たちは信じることができない。ここに試みる近代への一視点は、言葉の現在に対するそうした不安と懐疑とを背景に、言葉の放縦と共有とがどのように同時に果たされたのかを探りたいという願いによる。また、言葉にとって個人と共同体との関係がどのようなものであり得るのかを考える出発点にしたいとも思う。

 例えば現在私たちにとってなじみの深い歌語「血」は実は近代以前にはほとんど使われていない。これが国文学のフィールドで常識であるかどうか確認を怠るまま書き進めるしかないのだが、私にとって様々な意味で意外な発見だった。万葉集には一首もなく、八代集を通じても古今集に一首あるのみである。古今集では素性法師の歌として

 

 血の涙おちてぞたぎつ白河は君が世までの名にこそ有けれ

 

 があるが、この歌はほかにも「俊頼髄脳」、「古来風体抄」などいくつかの歌書に見ることができる。一種の型どおりの挽歌として、激しい悲しみを表現する歌である。死を悼む悲しみのあまり血となりほとばしる涙で白河が赤く染まる、それゆえ白河という名も君の生きていた間のことであったというのである。これは歌意から見ても、哀傷歌とはいえ機知を働かせた「型」の歌であろう。私たちが現在馴染んでいる歌語としての「血」のイメージは、もっと生々しく体温を伴って私たちの生全体を象徴している。この「血の涙」は、白楽天らの漢詩の「血涙」から発想されたものらしい。漢詩から発想を得たとこらからみても男の悲しみ表現の最上級、といった趣が強いようだ。悲しみの生々しさよりは上司を悼む部下の礼儀礼節かくあるべし、といおうか、悲しみ表現の心意気を読ませられている感じだ。「血の涙」はほかにもほとんど同類の発想で使われている。ここにおいて「血」は短歌の中で独自の歌語として自立し熟しているとは言えないだろう。

 さらに時代が新しくなると、橘覧の「志濃夫舎歌集」に

 

 真荒男が手どりにしつる虎の血のたばしり赤し門のしら雪

 

 真荒男が朝廷思ひの忠実心眼を血に染めて焼刃見澄ます

 

 などがある。「血の涙」とは発想がやや異なる物語風の勇ましい風情の歌であるが、ここでは真荒男の美学を装飾し、演出する小道具として「血」とその色が求められている。その色合いは一首めなどはじつに鮮やかで美しい。二首めの血走った目は、「血の涙」の応用編の趣であり、絵で言うならポイントカラーであろうか。全体に勢いがありややオーバーアクションぎみの劇の中で「血」はその色も使われ方も絢爛としている。しかしどこか空疎であり言葉としての量感に乏しい感じは否めない。誰が、何を、どうした、という輪郭がことさら鮮明な構造の中で「血」は装飾性を割り振られており、言葉として詩の中で力をもち生動している感じはしない。これらの歌の美学もどことなく漢詩風であり、颯爽と歯切れの良い<ますらおぶり>が、またはそれへの憧れが基調となっていることが伺える。

 こうしたますらおぶりの美学は、近代になって与謝野鉄幹が『東西南北』を問うたとき、その気分の基調となったと言っていい。その中で、「血」が背負ったものは文脈としては橘覧とほとんど変わることはなかったように見える。上野の森に遊んだときの歌として一首「血」が使われた歌がある。

 

 今もなほ、あはれなりけり。もみぢ葉の、血汐ながるる、黒門のあたり。

 

 この歌などは先の橘覧の歌を下敷きにしていると読めなくもない。先の橘覧の歌よりは血の色は間接的であるが、依然として武勇を偲ぶ作であり「血」の色を美化し装飾としている。さらに『紫』に

 

 ひだり手に血に染むかうべ七つさげて酒のみをれば君召すと云ふ

 

 があるが、これなどは橘覧よりさらに装飾的、物語的でありノスタルジックな武勇の美学であろう。『東西南北』の高揚した気分を支えた時代背景、ことにも日清戦争などを契機とした強さへの指向が、いきおい漢詩的な切れ味のよさ、国士、壮士風のますらおぶりの美学を引き寄せたと考えられるが、そうした動きのなかでも「血」は特別な席を与えられたわけではない。使用される頻度としても少なく、どこか古色蒼然とした美学の連れ合いとしてまれまれに懐かしがられていたといえる。現在から考えるとなぜこれほど蒼古とした陳腐なイメージを割り振られていたのか不思議でさえある。あるいは「血」は雅語とはなり得ない切実さのゆえに遠ざけられ、禁忌であったのかもしれない。飽きるほど繰り返された戦乱の時代を通して流血は日常であったゆえに短歌という特別な空間に招き寄せられるには深刻に過ぎる言葉だったのかもしれない。しかし、ともあれこうした歌の中で「血」が武勇を偲び、「血涙」にみられるような雄々しい悲しみ表現、いわば装飾としての(おそらく漢詩の)美学の範囲を出なかったことは確かだ。

 このように近代以前、もっと言えば与謝野晶子以前に「血」は歌語としてほとんど登場しない。晶子によって「血」が短歌に開花したとき、それはほとんど突発的な、爆発的な出来事だったのである。

 

 血ぞもゆるかさむひと夜の夢のやど春を行く人神おとしめな

 

 臙脂色は誰にかたらむ血のゆらぎ春のおもひのさかりの命

 

 やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君

 

 『みだれ髪』中に「血」が含まれる歌は全部で十五首。総歌数三九九首中のこの数を多いと考えるか意外に少ないと考えるかはこの歌集をどのようにイメージするかによって異なるだろう。しかし、『国歌大観』全体を通してもわずか二十五首という頻度と比較するとかなりの数ではなかろうか。

 頻度の面からだけでなく、その内容からみても晶子の「血」は革新的な存在感を持っている。一首めの<血ぞもゆる>は、現在の読者の目にはなじみの深い表現である。恋の至福境にある>私<は自らを神と名乗り、男を一夜の夢の宿に誘おうとする。初句に力強く据えられた「血」は肉体の魔力、生命力の象徴としてこの歌の突破口となった語句であり、このとき女性の性欲さえ積極的に暗示している。二首めの<血のゆらぎ>は、かなり飛躍のある表現だろう。家でも大地でも地位でもないほとんど抽象的な内面的な何かが揺らぐのである。この歌は晶子にとっての「血」を説明して饒舌だ。血が揺らぐとはまさに短歌史のなかで沈黙していた「血」が揺らぐのであり、ネガフィルムが反転するように積極的な言葉として突出している。ここでは「血」は存在を賭けた肉体と精神とのけじめのないエネルギーの充満を象徴している。三首めでは女性の情熱、肉体のエネルギーそのものとして<君>に差し出されている点に注目したい。相手である男は静的であり、旧弊の端正のなかに棲んでいる。その端正を破る動的なエネルギーの象徴が「血」だ。燃える血、揺らぐ血、熱い血、三首ともにそれ自体が生き物のように躍動しており、時代を突き破る衝動を湛えて詩的飛躍を遂げていると言えよう。

 ところで、晶子は同じく『みだれ髪』中の

 

 春みじかし何に不滅の命ぞとちからある乳を手にさぐらせぬ

 

 の<ちからある乳>を後に<ちからある血>に改めている。この改訂が効果的であったかどうか、多くの場合と同じように初版の勢いの方が優れているだろう。しかし、少なくとも晶子にとって「乳」は「血」と変えてもいいほど近しい言葉であったことがわかる。医学的には乳や、さらに髪などは血液と関わって健康状態を証すものであるらしい。身体的に密接な関係にあるそれらが、女性性に深く関わってその力や心を表現する言葉としてここに選ばれている。髪が古くからの歌語として雄弁に心を語ってきたのに比べて「血」が寡黙であったのは、先に述べたような理由のほかに乳と並んで女の子宮そのものを象徴するゆえではなかっただろうか。<やは肌のあつき血汐>と言うとき、若々しい青春のエネルギーの象徴という以上に女性の性に秘められた力が自覚されていることは誰もが感じるだろう。<血ぞもゆる><血のゆらぎ>ともに、対男性の場面でせり出してくるこの「血」のパワーは、女性の性のエネルギーそのものであると言ってもいい。晶子にとって「乳」が「血」で代替でき、さらに「血」の方がより詩的に洗練していると判断したのは、この言葉がその時点の晶子の中で女性の性の力を象徴するオールマイティーに昇格していたからである。子宮に満ちて女性の不明の力である血液は、性の露出を嫌う社会常識に加えて、女性のエネルギーを封印する力に常に覆われていただろう。晶子はこの秘されてきたエネルギーを解放し、髪と同列の、あるいはそれを上回る強い歌語とした。「血」はまさにそうした歴史の禁忌を破る力として登場したと言える。近代以前、ことにも男によって詠まれた武勇の象徴であった「血」は晶子にとって命の象徴であったといえる。女にとって「血」は死より生の側のものだ。この「血」の解放と発見こそが晶子の『みだれ髪』を決定的なものにしたといえないだろうか。

 晶子における「血」は、このように実に鮮明な、強いイメージで一つの時代を象徴し登場している。しかし、その歌は言葉の華やかさ、鮮明さの勢いを離れて正確に読もうとするとかなり難解だ。例えば次のような歌はどうだろう。

 

 ひとつ血の胸くれなゐの春のいのちひれふすかをり神もとめよる

 

 まず<ひとつ血>がわかりにくい。ついで<ひれふすかをり>も相当無理のある使われ方だろう。さらには<神>も晶子の世界の独自の言葉となっている。それぞれの言葉の間に飛躍があり、その飛躍を繋いで独自の物語世界ができている。あるいは物語世界と化した自らの恋が、<血><胸><春><神>といった言葉を奔放に息づかせ飛躍を遂げさせている。全体の歌意としては、佐竹寿彦の『全釈みだれ髪研究』では次のように解釈している。

 私の胸には、私の恋人と同じやうに異性に憧れる紅の血が流れてゐて、そのために、私の胸の内は灼熱的に燃えてゐる。私は、さうした自分の青春の情欲を、胸の奥深く秘めて表面にあらはすまいと努力してゐるのであるが、それにも拘はらず、どことなしにさうした気配が溢れ出ると見えて、恋人はそれを敏感に感じ取って、私に言ひ寄って来ることである。

 このように解釈されてみればなるほどその意味も納得できる。たとえば<ひとつ血>が恋人と同じように、の意味に解釈され、またそう読んで初めて全体が通じることにあらためて気づく。

 しかし、読者としての私はたぶんどこかもう少し違うところでこの歌、あるいは他の歌も享受していたのではないか、という気もする。ごく端的に言ってしまえば歌に意味を求めないという受け取り方である。つまり、この歌であれば、<ひとつ血>が何を意味するのか、どのような場面なのか、<神>とは何なのか、といった一切が曖昧なまま味わっているのではないかということだ。何となく全体に横溢する情熱と躍動感を梃子に言葉のイメージ、物語の気分といったものを受け取って良しとする。そんな読み方が『みだれ髪』には許されているような気がする。この歌では探ろうと思えば意味は読み解ける。そのぶん言葉の飛翔感はいまひとつだが、例えば

 

 みだれごこちまどひごこちぞ頻なる百合ふむ神に乳おほひあへず

 

 の <百合ふむ神>などはほとんど解釈不能である。少女雑誌の挿し絵が唐突に投げ込まれたようでもあり、あらかじめ晶子のイメージの中にあった泰西名画がモチーフであったかもしれない。しかしともあれ解釈はできなくてもイメージだけは奔放に広がり、浮き立つような恋愛のナルシシズムとその新鮮さが伝わる。そのなかで言葉はイメージと感情の飛躍のためのバネといった趣である。そして基本的に『みだれ髪』の歌の構造はこのようであるのではないか。茂吉が「早熟の少女が早口に物いふ如き歌風」と評した晶子の歌風は理も意味もときには文法も踏み越えて小走りだ。しかし、読み終えた印象の中でそれぞれの言葉は妙に鮮明であり、量感を持っている。そのようなおおらかな歌柄が、言葉に少なからぬ影響を及ぼしたことが考えられる。面白いことに、言葉は、晶子の我が儘な物語世界に連れ込まれて意味や文脈や文法やらを寸断されてかえって自由になっているとも言えるのだ。そこではまったく与謝野晶子という個人が言葉を抱きかかえ言葉の社会性を排除している。「血」も、いったんそのような歌人の胸で晶子のみの言葉として歴史性を遮断された。そのことによって「血」は新しい命を得、新しい文脈を与えられたといえよう。

 比喩的に言うなら、晶子が歌う「神」は、恋人であったほかに、文字通り神であって、晶子のみの神であった。絢爛とした恋物語の玉座に座り、しきりに言葉の奔放な躍動を促す神。しかし、そこに抱かれ生まれた「血」の向こうに見えていたのは旧弊に閉ざされた社会であり、男性美学でありというよりグローバルな抵抗体であった。晶子の歌、もしくは明星派の歌が現実との接点をうまく結べず自然主義の勃興に押し流されてゆくという文学史的必然とはまた別のところで、一つの言葉、例えば「血」は確実に社会性を帯び、他者を相手にしていた。そして面白いことに「血」は同時に晶子という歌人の全く個人的な神への奉仕によって命を得たとも言えるのだ。晶子の語彙のなかで、例えば「百合」がロマンティックな装飾性のほうに傾斜し、後に明星派の明星派臭さに繋がっていったのに対して「血」はそれよりずっと普遍性を帯びた言葉として伝搬し近代のある性格を象徴してゆく。それは、初期において晶子がこの言葉もろとも直感的に掴んだ近代以前という<他者>の手応えによるのではなかろうか。