伊藤一彦論

「現代短歌雁」96年37号

 

大青竹はどこからきたか・・・反近代としての幸福論

『海号の歌』書評

 

 ほほゑみを忘れず生きむ見上ぐればはるか銀河のはらわたの闇

 

 大声をあげゐる青葉くるしきか父たるは汝よろこびなるぞ

 

 竹群にたゆたふ夕陽消えゆくをペルソナなしに視るは悦び

 

 詩を書くことで言葉の美を極めたいと考えたり真実に近づきたいと願ったりする者は少なくないとしても、幸福でありたいと願う者は少ないのではないだろうか。名誉や桂冠を得るといった副次的な幸福はもちろん除くとしても、大きな意味では美も真実もその発見は幸福であるにちがいない。しかし、そうではなく、伊藤の場合、幸福を願うということは志として、詩人の尊厳を賭けた在りかたそのものであるように見える。この<ほほゑみ>や<よろこび>は明らかに陰りと屈折を伴って、それが願われるに至るまでの精神史の厚みを立ち上がらせている。銀河にはらわたを見、青葉のくるしみを知り、ペルソナに素顔を失う不安からたちあがる<よろこび>。さらに踏み込んで、悦びを悦びとして積極的に肯定する意志のようなものがこれらの歌に新鮮味を与え、伊藤の新境地を伝えていないだろうか。そしてそれは現在多様に広がる歌の平野のなかで、意外に大きな意味を持つメッセージではないかと思うのだ。

 伊藤がこうした幸いを願うに至る歩みを遡ってみるとき、そこには求道的にも思えるほど自らの生活をめぐる周囲に対する謙虚な姿勢があり、それが歌の独特の厚みとなっている。例えばこのような印象深い歌。

 

 一家にて来たる緑の地に遇いし小さき鳥居のわれら通らす

 

『月語抄』に収められているこの歌では、若い作者が自らの拠って立つ場を迷いや痛みとともに引き受けようとする心が滲む。鳥居に氏神などの土地の守り神以上の宗教的な意味を求める必要はないだろう。<緑の地>に生えたような小さな鳥居、くらいの意味だ。そこを家族とともに通る。通るのではなく、通ることを許されるのである。家族を持つという自らの幸いはどこかそうした許しを乞う感情とともにある。七十年代的な時代の余韻は背景として考慮に入れなければならないが、伊藤には常に自らが許されて存在するという何ものかへの畏敬の念があり、それが幸いの意味や奥行きとなっている。土地の許しによるこの小さな通過によって伊藤は自らの場や肉親というものをそのかぎりない重さとともに引き受けたのだと言えよう。ここで伊藤が拠って立つ土地は、特殊な地理性や歴史や物語性によって意味があるのではない。鳥居は<緑の地>という漠然とした映像によって象徴的な場を暗示するようにそこにある。この土地に彼が求めたものはユートピアでさえない。それは暗愚や知恵や許しや焦燥やらの渦巻く混沌とした非東京的なエネルギーの凝る場であったといえよう。

 さらに、この象徴的な土地で伊藤が未知の力としまた畏れの対象としたものにそこに棲むさまざまな人々の心がある。なかでもことに妻や娘を媒介とする女性世界の気配と奥行きは、東京に相対する土地に力を与えてきたことが伺われるし、またそこには他者との関わりにおける基本的な彼の姿勢が見える。

 

 うすあかき兎の耳に親しみてゆふべ超え得ぬ妻のかなしみ

 『月語抄』

 妻とゐて妻恋ふるこころをぐらしや雨しぶき降るみなづきの夜

 『火の橘』

 

 伊藤は同世代の男性歌人に妻を詠った作品が乏しいなかで極めて自然に、そしてときには積極的にそれをテーマとしてきたといえる。明示しがたい他者としての妻の存在は、彼に異性ゆえの異質なかなしみを知らせている。東京に対する地方を掲げ、また伝統的な男性文脈に相対するように妻の存在を引き寄せた伊藤は、この当時の限りなく白けてゆく空気に鋭敏な否定を提出していたのに違いない。そして一首目に見えるような妻のかなしみのはかりがたさは容易に彼を孤独にさせず、またさらに深い孤独のあるかもしれぬことを感じさせている。私は、正直なところいまだに二首目の<をぐら>さについて満足のいく鑑賞ができないでいる。共にいながら妻を恋うという心の動きは、そこに異質な理解の及ばない心のあることを強く感じるゆえにほかならず、それを引き寄せたいと願う自身の孤独と欲の奥深さは自らをも茫然とさせずにおかない。少なくともここで理解できるのは、他者によってもたらされるこの混乱と異質な孤独の存在が世界の奥行きとなって彼を容易にニヒリズムに向かわせなかっただろうということなのだ。むしろ逆であろうか、ニヒリズムは、当初から伊藤を侵犯し、それを押し返す力として自然や妻をはじめとする家族、故郷といった世界の生理は働いてきたと言えるかもしれない。それゆえ、幸福への希求はそうした未知としての人や土地や自然との相克のなかから、それらを抱えつつ生き次ぐ選択をした者の必然として立ち上がってきたと言えるだろう。

 

 われと立ち風に吹かれて声たてぬ海号じつは娘らのおさがり

 

 ボードレールの一行に及かぬ人生をボードレールより幸に生きむ

 

『海号の歌』を見るとき、そこにも伊藤が引き受けてきた他者の存在は大きい。<海号>は後記によって自転車であることが明かされているが、それが何なのかが知らされないこの歌の物語的な味わいも捨てがたい。そして大切なのはそれが娘からのおさがりであることだ。ここに過剰な読みを加えるのは控えねばならないが、娘のもたらす異文化の軽やかさとやわらかさとは父である作者が世界に相対するまなざしの質を決めており、ある意味では象徴的に伊藤の現在を示唆しているようにも見える。それは父から息子へと順当に受け継がれてきた、世界の未来を決める価値観への極めてやわらかな反論であるようにもみえるのだ。そして<ボードレールの一行に及かぬ人生>の幸を選択する思いもこうした流れのなかから生れたものとして寂しくも明るく、また意志的である。

 この歌集にはこうしたこれまでにない明るさ、明澄さへの志向がみられるが、この明るさにある戸惑いを覚えたことも記しておきたいと思う。伊藤の歩みを追うときその厚みの上でこうした希望が自然に了解される反面、ここで表現される快とした姿勢に読者としての私は取り残されるような気もする。伊藤の読者はこれまで誰でも彼が誠実にその心に及ぼうとしつづけた隣人の一人でありえた。あるいは象徴としての東京の住人であり、またあるいは形而上的な故郷の住人として伊藤の読者は常に彼と密接だった。だが今、伊藤は隣人としての私の代わりに<海号>をたずさえあの明るい光のなかにある、そんなわずかな寂しさが残るのだ。

 少し角度をかえてみよう。

 

 老樫をまねびてつひに言ふべしや人間ほろべ人間ほろべ

 

 暴れたるのちを懺悔しこもりゐる少年は鶴のごとしと思ふ

 

 この歌集でおそらく最も目を引くのはこうした現代社会に直接にコミットし、より広い読者に向けられたメッセージであろう。伊藤は後記に<二十世紀は水と言い、大気と言い、地球に危機的状況をもたらした時代だった。その責めを負う「先進」国のわれわれはいま従来の文明観、自然観、人間観の変革を否応なしに求められている。>と記す。この言葉はこれまでのような伊藤の内省的な肉声を感じさせないものだ。また、同時に彼が世界や人類といった単位で物思い対話することを選んだ風通しの良さを感じさせもする。この歌集で伊藤がこうした普遍的な問題に積極的にコミットしていることについて、私は二つの側面からこれを考えたい気がしている。

 一首目のような、自然の知恵深さに対する人間の愚かなありようについての嘆きに私たちにはこの先を次ぐ言葉が容易に見つからない。自然が人間悪に相対する絶対者となるとき私たちはそこに言葉の架け橋を失ってうなだれるしかない。人類や世界といった大きな普遍性を取り込むことは、それ自体が危ういのではない。そうした普遍性からあらかじめ背を向けることによって生じる言葉の閉鎖性や詩形に対する思い決めは、時間をかけて歌から活力を奪ってゆくだろう。問題なのは、そうした普遍性に関わる問いは、その問いの大きさと純粋さゆえにしばしばそこにあらかじめありうべき答えが用意されてしまっているということなのだ。伊藤もこの点では例外ではありえない。

 しかし先の歌にはどこかさらに深い屈折もうかがえる。それは<ほろべ>といわんとする自らも滅ぶほかない矛盾とやりきれなさであり、それを晒すことに伊藤が自らの言葉の現在を見ているからだ。またこの歌集に数多く描かれる心に傷を負った少年少女たちの存在は、多様な生きざまを見せながらも個別な顔を持つよりはより普遍的な現代の傷としてあらわれている。そこにも隣人である彼らの現代人としての傷を怒りと哀しみをこめて晒すしかないという彼の気持ちが読みとれる。こうした人類単位の問題に関わるとき、これから先ニヒリズムに至るか、さらに何か語りうるのかは大きな分かれ道となる。伊藤は、時には問いの大きさの前に判断停止を強いられつつ、しかしありうべきメッセージを探したい衝動を隠さない。むしろ、時代全体を覆うニヒリズムとまともに格闘し対話する姿勢においてこの歌集は明るく風通しがいいのだ。

 

 あらし過ぎ三日の後を川上ゆ大青竹の泳ぎ来たりぬ

 

 大合唱のかなかなどもは知らざらむふるさとに棲むわれの望郷

 

 踏み渡る薄氷のなき南と揶揄されてゐつ心地よきまで

  『短歌』(96年4月)

 

 一首目の快とした風景を楽しく思うのは私だけだろうか。嵐ののち三日ものあいだを悠然と川を泳いで現れた青竹は川上の陽光と南国的なおおらかさを伝える。そもそもこの大青竹はどこから来たのか。さまざまな方向が行き止まりに見えるような問いの間にあってこの青竹は光あふれる別世界への道を知っているふうだ。伊藤にとっての故郷はさらにその存在を普遍化する一方で、そこには北に相対するようにこうした南方性があらたな力として積極的に見つめられている。現代にメッセージをもって関わりつつ伊藤が自らの言葉を支える根拠とするものがここには見える。

 伊藤がその歩みのなかで拠り所としてきた隣人や生活への慈しみは、より積極的な幸福への希望として姿を得つつある。さらに踏み込むならば、それは人の未来を突き詰めた先に広がるニヒリズムに常に侵犯されながらの幸福の希求にほかならない。希望を希望することはときには絶望を決め込むことよりも深い痛みと忍耐を伴う。『海号の歌』に見えてくるのはこの忍耐の先に現れた、明るさをともなう対話の姿勢である。さらにこれを近代以来培われてきた自我を求心的に求める姿勢から眺めるならば、伊藤はむしろ自我を解放してゆく方向で現代に異を唱えている。それは伊藤の個人的な歴史や歌の歩みを背景にしつつ、短歌が蓄えてきた言葉の歴史や精神史に相対するテーマとしてより大きな視点を得つつ立ち上がってきたといえる。

 考えてみれば近代以来の短歌は、どれくらいこうした素朴な、それゆえに根元的な幸福への願いを斥け続けてきたことだろう。『海号の歌』が予感させるのは、概して詩と幸福などという言葉とが縁遠かった近代からの文学の流れに抗う大いなる伏流としての南の文学のイメージである。先の大青竹は、もしかすると遠くアジアや太平洋の島々にもつながりうる異境の明るさをおびて南方からゆっくりとやってきたかもしれないと思うのだ。