You are safe in my heart

 

父の葬儀が終わって一週間ほどが経ち、母がぱたりと泣かなくなった。さまざまな手続きのため、聞き慣れない法律用語やら数字やらに翻弄された昼間の喧噪。それらも終えると主を失った家が急速に冷え込んできた。身辺にそわそわといた人々も去り、母と二人になった。鍋を作った。食べることに興味を失った母を温めねば、と思った。大きな土鍋の代わりに、アルミ製の小さな片手鍋を卓上コンロにかけた。白菜と豆腐と麩しかなかったが気にならなかった。薄いアルミ鍋が沸騰し、その音が家中に響いた。私も明日は母を残し東京に帰らねばならない。四囲から忍び寄る寒さを鍋の湯気が押し返してくれるのが有難かった。父が亡くなって以来、はじめて母をつくづくと見た。

 母は頬杖をついてぼんやりと歌謡番組を見ている。耳に入っているとは思えなかったが、時々聞き取れないほどの小声で歌っているのだった。母が歌うのを私は初めて聞いた。「私は歌は嫌い」と宴席で逃げ回っていた母しか記憶にない。父は陽気なよく通る声で青春時代の歌などを自己流で歌っていた。古賀政男の「影を慕いて」もあったが、父が歌うとあの殷々と寂しい歌がなぜか応援歌になった。夕方、かならず裏の作業場から父の歌声が聞こえてきた。

 母の声はすきま風のようだった。母にとうてい興味があるとは思えない若者向けのポップスばかりだった。無数の届かぬ思いや過ぎ去った恋が歌詞となって画面に流れていた。母はそれを音楽とは関係なく辿っていた。遭難したら歌を歌うのがいい、と山歩きの好きな父はよく言った。目を閉じて一番楽しかった時を思い出しながら歌っていれば助かる、と。母は遭難していた。親兄弟と縁の薄かった母にとって、父は初めて得た肉親だった。いま、母の周りに見渡す限りの海原が広がり、母は小さな板きれに掴まって薄暮の海を漂っている。そして愛の歌を口ずさんでいた。

 セリーヌ・ディオンの「My heart will go on」がかかる。歌詞を追えなくなった母が諦めて口を噤み、耳を澄ます。

 

 ・・・・・・・You are safe in my heart


 And my heart will go on and on・・・・・・・・


 この歌が主題歌となったハリウッド映画、ひととき楽しんで忘れたはずのスペクタクルの一場面が鮮明に甦る。タイタニックから流氷の漂う海に投げ出された人々の白い息が見える。あの人達も歌っただろうか。母は父の言葉を信じ、歌っていた。この家の寒さも、明日からは一人きりになるという現実も、心の中の父の存在ほど確かなものではなかった。鍋でひととき押し返した寒気は容赦なく迫り、深夜になる。母の吐いた息が白くなり、海も空もない闇に包まれる。父は母を励まし、母はその声のする方へ泳ごうとする。ほかには何も見えない。