書き下ろし
鏡台、もしくはドレッサーというものを持ったことがない。私の母も持たなかったから、こういう習慣は遺伝するらしい。時々デパートやホテルのトイレなどにシックにしつらえた化粧室があって、鏡と椅子が並んでいることがある。それぞれの仕切のなかで皆熱心に鏡に向かっている。私も好奇心からそこに座ってみることはあるが、する事がない。自分の顔など眺めていても退屈だから早々に立ち去ることになる。しかし、鏡台が嫌いなわけではない。特にあの三面鏡とビロード張りの椅子のついた古風な鏡台などは子供の頃憧れの的だった。
小学校に入ったばかりの頃、友達の家に遊びに行くと、嗅ぎ慣れないいい匂いのする瓶やら銀色の蓋のついたクリーム入れなどがズラリと並んだ鏡台があって、そこは不思議な空間だった。くるりとカールした髪の毛がブラシに残っていて、触れてはいけない秘密のようだった。どこか他にはない濃厚で甘い空気が漂っていた。私はとりわけ銀色の蓋のついたクリームに触れてみたかった。少しでいいから指にとってもいいか、と尋ねた。友達は難しい顔をして、これ、高いんだからちょっとだけよ、と蓋を開けてくれた。ちょっとだけが重なり、あれもこれもちょっとづつ塗ってコテコテになり、ついでに粉をはたき、口紅まで塗る。小鬼のような形相となった少女二人はこっぴどく叱られた。しかし叱られれば叱られるほど鏡台は神聖な場所となって私を惹きつけるのだった。
白雪姫の継母は鏡台に向かって怨念をたぎらせ悪女となった。姫を毒殺しようという計画は、トイレで用を足したついで、などではとうてい思いつかなかっただろう。継母の持ち物であった鏡台はきっとすばらしく大きく重々しかったに違いない。くるくるとねじった彫り物の施された足や、引き出しの取っ手に附けられた房飾り。大きな楕円形の鏡はぐるりと彫刻で飾られ、ほんのりと曇っていたに違いない。色とりどりのガラス瓶が並べられ、香りを確かめながら順番に肌に塗り込める。「鏡よ鏡、世界で一番美しいのはだあれ」。この呪文は鏡台に向かうという儀式の神秘性から必然的に生まれたにちがいない。そんな彼女が、鏡を見る必要さえない軽率な若い美を呪ったのもムベなるかな。あれは鏡台を廻る宗教戦争だったのだ。
鏡台は何かが起こる場所だった。女は男のために化粧したのではない。断じて。女に化けるために化粧したのだ。どんな女に化けるべきか、眉や睫や唇を作戦地図にして戦略を練りあげる。ロココや、アールヌーボーや、ヴィクトリア時代、女達はそれぞれの時代が理想とする女に見事に化けてみせた。そしてどんな時代だって女達はそれはそれは考えたのである。上手く化ければ男を思いのままに操れるが、化けそこなったら社会から追放の憂き目にあう。中世なら魔女にされて火あぶりだし、近代なら精神病患者にされて一生病院で過ごすハメになる。時代の様式に合う女に化けてみせることは死活問題だった。これまで上手く女になれなかった女達はたぶん鏡台で過ごす時間が足りなかったのだ。うまく女に化けるには容貌を作るほかに、心を化粧するための濃厚な時間が必要だ。豪華な鏡台を嫁入り道具に持たせた母親達は祈ったに違いない。どうかこの娘が無事理想の女に化け、夫を騙しおおせますように。
最近毒殺事件が減ったのはゆっくりと鏡台に向かう女が減ったからにちがいない。