書き下ろし
いよいよ受験目前となった。気がつくと我が家の18歳少年Aも受験である。いや、今まで気がつかなかったわけではないのだが、気がついていたような気がつかぬような、半覚醒状態である。とにかく本人があまりにも暢気なので親の方も本気になれないのである。
受験生を自認する少年少女たちが、単語帳を片手に電車に乗り、集中できる場所を求めて図書館の席取りに奔走し、赤本を手に入れようと本屋巡りをしている頃、少年Aも忙しかったことは忙しかった。推薦でつぎつぎに進学を決める子の祝勝会に奔走し、その疲れを癒すべくクリスマスパーティーで盛り上がり、『ブッシュ妄言録』を暗記して座興の主役になるべく努力していたのだから。親も親でともあれ幸福そうな青少年は微笑ましいので、家中で幸福を噛みしめていた。
しかし幸福というのは破られるためにある。冬休みの第一日目、学校から呼び出しがかかった。なんと息子の成績は惨憺たるもので、特に社会は赤点、遅刻の連続でこのままでは卒業させられない、と言う。びらり、と開かれた成績表を眺めたとたん私は急性老眼の発作に見舞われ、視力を失った。「あ、あの、これ、どういうことでしょうか?」。先生は、藁半紙を広げ、その真ん中におおきな山を一つ描いて見せた。なだらかな裾野から急にせり上がる山は粘りの強い溶岩で出来ているように丸い頂上をしている。先生はその左の裾野のあたりをペンで指し、「お宅の息子さんはここです」と言う。
ここ、と言われたあたりを見ても息子はおろか人影はない。ただただマジックで太々と描かれた線があるばかりだ。「あの、息子はどこに?」と訊ねると、先生は信じられない、といった風に首を振り、抑揚のない声で手早く説明する。「これは、偏差値をグラフにした山です。ここの真ん中のあたり、山の頂が偏差値50で、全体の中程の成績になります。山の左手がそれより成績の下がっていく線。右は成績の良い方になります」。先生はもう一度山の左手の裾野をペンで指し、「ここがA君の成績です」と念を押した。今度はしっかりと息子が見えた。百点満点で14点というものすごい社会の点数とともに。
「きょうわざわざお出でいただいたのは、この件だけではありません。息子さんの希望校のことですが」と先生はふたたび火山性の山を描いた藁半紙に向き、今度は山の右裾野をペンで指した。「これが息子さんが受験を希望されている学校です」。先生のペン先が何度となくつつく裾野は、右のはずれのもう人影もないようなところである。つまり、息子は、めったに普通の人がとらないような悪い成績でもって、めったに普通の人が入れないような学校を目指している、ということになる。「息子さんともう一度話し合ってみてください」。先生は出来るだけ言葉を省略したがっていた。
私は急性老眼の発作に失語症の合併症を起こし、加えて歩行困難を来してタクシーを呼んでもらった。深々と頭を下げて見送る先生が小さくなってゆくのを振り返りながら、ふと医療ミスの犠牲者になった患者を見送る主治医のようだなどと思う。いやいや、とんでもない。悪いのは自分たちのほうだ。ガラガラと自分の中の息子像が崩壊してゆき、代わりにへのへのもへじの顔をした案山子が突っ立つ。ここにあの案山子、いや、息子が居たら力一杯打ち据えてやる。ショックが怒りに変わり始め、私は拳を握りしめる。タクシーのカーラジオが、演歌を流している。石川さゆりの「天城越え」だ。
握りしめた拳で膝を叩いていると、天城峠の代わりにあの溶岩性の山が再びありありと見えてきた。息子は、あの左の裾野から頂上へ登りつめ、下り、ながい裾野を歩いて右の裾野へ抜けようというのである。 何という甘さ、何という脳天気さ。天城峠は冷めやらぬ真っ赤なマグマの塊となって聳え、私はようやく受験生の母となって、この試練を密かに「天城越え」と命名するのであった。