拝啓

浜ちゃん、寅さん。

書き下ろし

 

『釣りバカ日誌』と『寅さん』が嫌いである。と書くともうそれだけで日本人の八、九割を敵に回したことになる。反論があったらどうぞ。とにかく嫌なものは嫌である。嫌いの裏返しに好き、が貼り付いているとかそういう複雑な心情でもない。嫌いと言うより情けないし侘びしいのである。

 テーマ曲が流れただけで逃げ出してしまうので、二つのシリーズともにまともに見たことがない。しかし「釣りバカ」も「寅さん」も一度だけ無理矢理に見るほかなくて、ところどころ見てしまった。「釣りバカ」は、飛行機の中で。真っ暗で、他にすることもない閉じた空間で眠れないまま。実に長い夜だった。「寅さん」は、一人暮らしの叔母を訪ねたとき。叔母が寅さんに夢中で、手を叩き声を上げて泣いたり笑ったりするのに付き合うほかなかった。これも長い夜だった。

 見てしまった憂鬱はやはり一度振り払っておいたほうが良いと思うので、あえて感想を言葉にしてみる。一言で言えば、日本はなんでこんなに狭くて窮屈なの?たぶんこれが一番本音に近い感想だろう。浜ちゃんも寅さんも実に媚びのうまいキャラクターである。微妙な人間関係の網の目を巧みにくぐりぬけるあの笑顔。爽快な笑顔では決してなく、へへへ、というあの微妙な笑い。しゃにむに何かを壊すわけでもなく、何かを変えてみせるわけでもなく、ほどほどのタイミングを嗅ぎ分けて巧みに人の心を撫でてみせる。

 浜ちゃんも寅さんもそれぞれの社会のちょっとしたアウトローを気取っているわけだが、アウトローというより主人に媚びるのが得意な居候にすぎない。自分に向けられる表情のどれが有益かをうまく嗅ぎ分け、タイミングを逃さずそれに取り付く。彼らは居心地の良いお客さんの位置をこの絶妙なバランス感覚で保ち続け、それ以上を望まず、何もしない。丹下左膳や、拝一刀のようなアウトローは、自分に触れるものをやみくもに斬り続けることで危うい居場所を作るが、浜ちゃんと寅さんはあのへへへ、で実に居心地の良い場所を保ち続けているわけだ。

 世間といい、会社といい、あの微妙な笑みで潜りぬけているかぎり誰も傷つかず、何も変わらない。何も変わらず何も動かさず、小さな居場所は安泰のまま。蟻さんの幸福である。モグラさんの安寧である。日本での希望ってあんなもんなの?あんなみすぼらしい自負しかないの?と思えてたまらなく寂しい。

 ついでに、寅さんの妹のさくらと、浜ちゃんの奥さんの何とかさん(名前を覚える気もしない)、二人ともエプロンで手を拭きながら台所から出てくる演技をやめませんか?そもそもエプロンをかけて男の帰りを待つなんてあんまり間抜けじゃないの?待つというのは、帰ってくるか帰ってこないかわからない素敵な男を待つから面白い仕事なのであって、必ず帰ってくる男をエプロンで待ち受けるなんて、バカじゃないの、と思う。寅さんも浜ちゃんもあのちっぽけな蟻さんとモグラさんは必ず帰ってくるのだから、待つほどの価値など初めからないのに。

 拝啓、浜ちゃん、寅さん。あなた方、わたしたち日本人に「そのまんまでいいんだよ、成長なんかしなくていいんだよ」、というメッセージを送るのをやめてもらえませんか。