「Forbes フォーブス」日本版07年3月
着ることのないよそ行き、というのが私にもある。母にもあり、そして祖母にもあった。最近年回りなのか、そうしたよそ行きの着物を譲られる。祖母の着物もその一つだ。
私は祖母を知らない。父方の祖母も、母方の祖母も若くして亡くなった。特に母方の祖母は二十八歳という若さだったという。その祖母の着物が巡り巡って私の所にやってきた。祖母とはいえ、二十代の若い女の着物である。撫子色の晴れ着は十代で古い紙問屋に嫁いだ乙女の花嫁道具だった。座って食事する暇さえない忙しい商家の若女将となった祖母はこの着物に一度も袖を通すことがなかったらしい。しつけ糸もついたままの着物は、生地もしっかりとしたまま八十年以上を眠ってきた。
まだ幼い花嫁にこの着物を用意した時、その母親は娘にきっと訪れるであろう晴れがましい日を信じた。どんな場に出ても恥ずかしくないものを、と。若い花嫁ももちろんいつかこれを着るような特別な日を思ったに違いない。そして私の母も母親代わりのこの着物を大切にしてきた。孤児として親戚に預けられた母にとってこの着物だけが母親だった。長い戦争の時代、かぼちゃ一つのために時計を差し出すような食糧難の中を、この着物は守られてきた。いつか訪れる大切な日のために。そして祖母にも母にも訪れることのなかった特別な日。
人はなぜ着ることもないよそ行きを準備し、そして手放さないのだろう。そんな晴れがましい日は一体いつやってくるのか。綺羅とは美しい衣服のこと。八十年のあいだ綺羅を躾けてきた糸は、曾祖母、祖母、そして母を繋いできた思いの糸である。あるいは人は、特別な日を遠い未来に待たせて生きてゆくものなのだろうか。綺羅を大切に仕舞いながら、いつか、きっといつか、今日ではなく明日、明日ではなく、明後日、明後日ではなく来年こそ、と。