岡本太郎の見た日本

— 赤坂憲雄・岩波書店 —

『デンタルダイヤモンド』2008年6月号掲載

 

さて、ここで一人思い出していただきたい人物がいます。大阪万博の太陽の塔の作者、「芸術は爆発だ!」で知られる岡本太郎という画家です。彼は、青春期の十年間をパリで過ごし、帰国してのち前衛的な画風で知られました。あの独特の風貌とともに思い出されたのではないでしょうか。太郎は、アーティストでしたが、実は極めて先鋭な民俗学者としての顔を持ち、日本中を旅し、多くの著作を残してもいました。彼の仕事は画家にとどまるものではなく、それを遙かに超えるスケールで展開された日本論、人間論でした。その岡本太郎への「あられもない恋文」として書かれたのが本書で、作者の赤坂憲雄さんも「東北学」を提唱し、新しい日本を発見し続けておられる気鋭の民俗学者です。

 日本の伝統と言えば何となく思い出す法隆寺の姿や、桂離宮、美しい庭園や、浮世絵、屏風絵、などなど。しかし考えてみるとこれらは、日本の貴重な文化遺産であるとはいえ、長い歴史を通じて大多数の庶民からは遠いものでした。そういう高尚な、そして生活から遠い物は果たして本当に「日本人の伝統」か。そうではなく、延々と長い歴史を通じて私たちの生活がはぐくんできた物、抱え込んでいるものを見直すことのほうに本当の「伝統」はあるのではないか。たい積する生活の歴史の古い層を掘り起こし、北へ南へ、視点を移してゆくと、意外にも今日の私たちを支えている「伝統」が見えてくるのではないか、というのです。 

 この本の面白みは、何と言っても二人の先鋭な学者の思考が縒り合わせられ、絡まり合って、勢いよく道を切り拓いてゆくところでしょう。一体どこへ行くのかとハラハラさせられるほどです。どこまでが岡本太郎の思いや考えで、どこからが赤坂憲雄さんのものなのかが混沌とわからなくなりながら読み進んでゆくと、いつの間にか記号のように信じ込んでいる日本の姿がかすみ、もっと私たちの生活に親しく、懐かしく逞しい日本が立ち現れていることに気がつきます。

 太郎は書きます。「この民族の、熟していながら粗野であり、繊細でありながら強烈な魂に、私は限りなくうたれるのである」と。その太郎を赤坂さんは「太郎はつねにあたらしい」と言い、現代にこそ必要な魂だとするのです。