忙中閑日記

「かりん」09年1月号

 

十月某日

早朝、母から電話。目の調子がおかしいという。網膜剥離が心配されるので、急ぎ帰省することにする。郷里の街から病院がなくなって二年余り。母の病院通いのための帰省が増えた。出席を予定していた魚村晋太郎さんの第二歌集の批評会は断念、残念である。

十月某日

幸い大事に至らなかった母と阿蘇を見ながらバスに揺られること二時間。行きは左に、帰りは右に阿蘇山が見える。何か物言いたげな山だ。あと何度通うことになるのだろう、とふと思う。

十月某日

予定通りニューヨークへ行くことにし、実家を発つ。熊本空港から羽田へ、羽田から成田へ。ぎりぎりセーフか、と駆けつけると飛行機は六時間遅れの出発だという。仕方ない。トランジット用の仮眠室で眠ることにする。宙に浮いたような不思議な時間、漂うように眠る。

十月某日

機内で飲み過ぎ、酩酊状態でニューヨーク着。深夜である。予約していたアパートに辿り着くが、暗澹とする。値段と質が釣り合うのは普通だが、ここでは安全度も値段に相応しいものとなる。部屋の扉についている鍵は一カ所だけ。三つほど壊された鍵がぶら下がり、一つは穴となっている。酔いが醒める。ドアの下方の隙間から廊下を歩く人の靴が見える。清潔とは言えないベッドに横になり、鉄の階段の音をさせて四人の男性靴が通りすぎるのを見届ける。

十月某日

朝、通りに出て驚く。これほどたくさんのゴミがまき散らされた歩道を見たことがない。捨てられていた鶏の骨に躓いて一日が始まる。上の階に住むブラックのおじさんが愛想よく挨拶してくれたのが救い。ブラックの多くがオバマのバッジを胸につけている。ニュースの世界みたいだ。金融危機の最中にしては静かな、いつもと変わらぬ街。

十月某日

夜、母に国際電話。体調に変わりない由。裏山のクヌギの葉がたくさん散って樋が詰まったと言う。母は長年このクヌギを憎んでいる。いつか切ってやる、いつが良いか、誰に切ってもらおうか、と訴える。窓の外には煉瓦の壁が囲む暗い中庭が見える。故郷のクヌギは母に憎まれながら心地よさそうだ。「憎む相手も必要だから」と言って漸く電話を切る。電話代が気になる。

十一月某日

ジャズクラブでウイスキーを飲み過ぎ、痛恨の宿酔い。死ぬかも知れないと思い、留守番している息子に電話。遺体は日本に搬送する必要なし、ここで火葬してコンパクトにせよ、など遺言を託す。もう金輪際お酒は飲まないと誓いつつ丸一日を窪んだベッドに寝て過ごす。

十一月某日

帰国、というより生還。息子がしょぼしょぼと野菜炒めを作っている。「家族っていいね」と言うと、「まともな家族ならね」という答え。・・・ちょっと考えるが、深く考えるのは止める。