『蟹工船』の時代と表現

08年8月号掲載 角川「短歌」

 

昭和四年、世界恐慌の年に刊行された小林多喜二の『蟹工船・党生活者』が今年に入ってベストセラーとなり話題となっている。本屋で平積みになっているいかにも昭和初期らしい装幀の本を見るのは、不思議な気分だ。教科書で習ったまま忘れていたが、久々にあの小林多喜二の厳しいデスマスクの面影とともに思い出した。ワーキング・プアなどの言葉で知られる過酷な労働条件下で働く若者に熱い支持があるらしい。このことは文芸時評などですでに多く論じられている。この昭和初期の小説を初めて詠んだ若者たちによって「これはまさしく現代だ」と語られるとき、日本社会の変貌を痛感する。こうした現象に短歌は無関係だろうか。
私が強く感じるのは、日本語の言語空間はこの間何をしてきたのか、ということだ。『蟹工船』が「当たる」ことの痛ましさは社会が感じるべきであり、また文芸が感じるべきである。『蟹工船』が再び現れるほかないのは、そうした表現が欠落してきたからだろう。プロレタリア文学の可能性などもう誰も信じなくなった今日、亡霊のように現れた『蟹工船』は、同じように過去になりきれないいくつもの文脈の「語り切れなさ」を考えさせる。   
戦中、戦後、高度経済成長、バブル、バブル崩壊、といった区切りごとに、めまぐるしく気分や空気が入れ替わってきた「時代」。『蟹工船』の再登場は、おそらくプロレタリア文学の可能性などとは直接には関係しない、今日という「時代」のムードの象徴に過ぎないかもしれない。しかしそれでもそのような表現が欠落してきたのであり、だからこそ今求められている事は確かだ。
このことをもう少し短歌の表現史に引きつけて考えてみると、かつて現れたさまざまな表現の抱えていた問いが、十分に語り尽くされることなく次々に押し流されてきたことが思われてならない。プロレタリア文学は一つの例に過ぎない。例えば戦後短歌が、例えば前衛短歌が、例えば女歌が、例えば現代と古典の問題が、ライトバースが、それぞれの表現の可能性について十分に議論されないままにきたのではなかったか。その「語り切れなさ」は、それぞれの抱えていたはずの可能性を未熟なまま放置することに繋がらなかっただろうか。
例えば戦後派は、易々と全体主義に雪崩れていった戦時の反省のもとに、言葉を発する基盤である個人が成熟する以外に文学の成熟がないことを切実に訴えていた。また、前衛短歌運動がこの根本に抱えていたのは、永い戦争の時代にうち捨てられてきた「詩歌の近代」をどう果たすかという問いであったろう。また、女歌に始まる議論は、近代短歌に欠落してきた女の表現を開拓し、そこに性差による視野という大きなもう一つの世界を加えた。そして山中智恵子や馬場あき子らによる古典の再発見は、戦争によって切断された日本語表現の血脈、時間と歴史とを回復するという前衛的な試みに他ならない。また、ライトバースは口語による定型詩の可能性と、現代に広がる見えない廃墟を示唆してきた。これらの問いはもう十分に古くなり、無効になりうるほどに咀嚼されただろうか?
もし、今、短歌の世界に未来が見えにくいとすれば、そしてもっと広く文学に時代の役割が担い切れていないとするなら、それはそれぞれの時代に切実に問いかけられてきたはずの問いを、取り零し続けてきたことの集積ではなかろうか。言葉と心の表層を撫でるように通り過ぎてきた時間の堆積の中から今一度どの問いでもいいから拾い上げ、問い直すことが必要なのではなかろうか。
今日、『蟹工船』に感動し、自らの問題だと感じる読者にとって、文学は切実な魂の砦であるかもしれない。近代ならば間違いなく短歌の作者を目指したに違いない人々も多く含まれるに違いない。そういう人々にとって短歌は今、どう映るのだろうか。作られた歌がたちまち忘れられてゆくとも言われる、いわゆる携帯短歌やネット短歌のような世界とも違う、もっと恒久性のある、芯の太い持久力のある言葉の世界が求められているのではないか。
例えば近代において啄木が問いかけようとしたような社会と自我との摩擦をめぐる問いは、啄木とともに早逝した問いの一つだろう。また、病や貧困といった生の苦痛をめぐる古い主題が今日また正面から向き合うべき問いとして聳えている。そうした入り口をもう一度洗い直してみる必要はないだろうか。
「時代」という箱の中身をいれかえるようにニューウェーブから『蟹工船』に入れ替えるような「模様替え」ではない、表現の深部に繋がった作品と議論が大切にされることが今一番大切なのではないか。そして短歌の新しい可能性は、たぶん過去の問いの中に眠っているはずだ。