生存の岸辺から

■特集——安永蕗子

 

 安永を読み始めたときには、その流麗な文体に目を奪われた。しかし今は怨恨の歌人であると思っている。
 安永は自身の歌の内に己れの姿を曝さない。驚くばかりに端正で禁欲的な文体は、読み進むことによっても安永その人に巡り会うことを許してはくれないのである。そのことをたとえば塚本邦雄はこう論じている。〈この稀なる●秀歌人の、幸福な首途を明らかに證し得る秀歌のその閃きを見つつしきりに渇き、すでに手練のあとけざやかな、当時の彼女の、柔軟な言葉の駆使が、あまりにも見事に統御され過ぎてゐることにいらだつてゐた〉(安永蕗子『●花詩』解題)。また馬場あき子はこう語る。〈その作品をとおして受けとめる巧緻なテクニック、豊穣な語彙、そして纏綿とした連鎖の技法は、変化に富んだ発想等々によって嗟嘆を深くさせられながら、つねに把握しがたい「人間像」の一点において、いささか捉えがたい疎隔感が何であるかというところにしぼられていった〉(『現代歌人文庫・安永蕗子歌集』解題、国文社刊)
 すぐれた読み手によって指摘されているこうした戸惑いに、私もまた深く共感しつつ、しかし、くり返し言われているその〈人間像〉の捉えがたさは逆に安永の深く執するところではないのかという気がしている。人間像を曝さぬこと、そのことにむしろ安永が安永たる本質のようなものが潜んでいるのではないかと思う。

 紫の葡萄を搬ぶ船にして夜を風説のごとく発ちゆく

 豊穣な装いをした舟が夜の寂しい岸を離れて、さながら風の便りのように発ってゆく。舟の積み荷は葡萄である。葡萄は神への供物を彷彿とさせる。安永は岸辺にたたずみ、実際にはない舟の出発を見ている。ここにたたずんでいる私の寂しい消息を伝えにゆけよ、と。その舟に荷われるのは葡萄でなければならなかった。葡萄こそはまさに聖なる者への貢ぎものとするのに応わしいのであり、聖なる者と巡り会うために夜を紛れぬ芳香を放ってくれるものであるからだ。安永は聖なる者にみずからの寂しい消息を伝えにゆけよと、幻の舟の出発を夢見るのである。
 安永は、この岸にとり残されているものの悲しさを歌う。聖なる者の去ったこの岸に取り残され、彼岸を恋いつつ生ある限りその彼岸にほど遠い己が身を歌う。それは『魚愁』のテーマとして強く表われたものであり、その後も少しずつその形を変えながら安永の内に深く抱かれることになる。
 聖なる者にとり残されたという思いは、

 蘇りゆきたる痕跡(あと)のごとくして雪に地●が開かれてゐつ

のようなイエス・キリストの復活を彷彿とさせる原体験的な歌や、
 紺地金泥阿含(こんぢきんでいあごん)一巻写したる穂先小さき光明のこる
のような写経の歌にもあらわれている。聖なる者は、宗教を特定しない、ある聖なる者として安永にしばしばその足跡を見せるのである。
 そのような思いのもとで、みずからをとり囲む現実の風景は次のように歌われている。

 腕あげて海に入りゆく漁夫にさへ風は囚徒に吹くごとく吹く

 水曇る夕べの岸にひしひしと人が劫(カルバ)のごとき石積む

 一隻の舟ひきとむる索条の二十重(はたへ)汚れて海辺かなしも

 ここに表現されているのは、聖なる者の去ったこの岸に囚われ続けている人々の生活の悲しみである。何気ない生活の中の風景を、安永はとり残された者の悲しみとして見る。〈漁夫〉は〈囚徒〉であり、護岸工事であろうか、石を積み重ねている人々は〈劫(カルバ)〉の時を積み重ねているのであり、また一隻のささやかな舟をひきとめるのにも幾重もの汚れた縄がまつわる。ここで注意したいのは、これらの風景が、単なる生活苦の悲哀を超えてもっと広大でもっと悠久の時間に向かって開かれていることである。
 石を積む人々は、この世の限られた時間をそこに在るのではない。〈劫(カルバ)〉、永久に石を積み続けるのである。また、海に入ってゆく漁夫も生活に囚われ拉がれているわけではない。海と空との広大な景観の中にぽっつりと心細いその身を吹かれているのである。
 ここでは、生活は人を縛り拉ぐような強いものとしてでなく、大きな空間や気の遠くなるような長い時間の中での一筋のひたすらな営みとして描かれている。生活、それ自体が罪の匂いを帯びてすでに悲しいのである。
 心あくがれつつみずからが在り続け、そしてまた見渡すかぎりの生活の人々が囚われているこの岸は単なる生活苦の岸ではない。
 この岸辺に囚われているという悲哀は、また北への憧れとなって次のようにも歌われる。

 なぐはしき風あしもとに立ちながら北方帰依を阻むなにゆゑ

 絆断ちいま生き生きと北にゆく我が白船とたれか言はぬか

 何ものの声到るとも思はぬに星に向き北に向き耳冴ゆる

 安永の北方指向はしばしば指摘されている。さながら〈紫の葡萄を搬ぶ舟〉を夢見たように、みずからが〈白船〉となってこの岸を離れ、北に行くことを夢見る。しかしここでも安永は、故郷である南の対照としての北を考えているのではない。私生活のさまざまな事情から捨てることのできなかった故郷を愛しつつ厭う情から北を憧れたのだと読むのは充分ではないのだ。もしそうした故郷との確執が歌われていたら、安永の歌はもっと人間臭い輪郭を帯びてきていたことだろう。安永は、故郷への愛憎や生活苦などと名づけうるような感情や、それに伴う具体性を離れたところで歌おうとする。北と呼ばれた地は現実のどこにも存在し得ない。そうであるならば、北は囚われているこの岸に相対する憧憬の地の象徴ではあるまいか。北に象徴される彼岸が安永の心を炙るのである。北こそは去っていった聖なる者に再び巡り会える地に違いないのだから。
 この岸とは何か。安永は生活に囚われているのでも故郷に縛られているのでもない。むろんそれらに縛られながら、心はそれらをも些細と呼びうるような大きな単位の時間や空間に向かって開かれているのである。しかも、この岸にとり残されているのは一人安永だけなのではない。安永によって飽くことなく歌われる自然の景物、生きもの、生活する人々、草木、ことごとく皆とり残されている。この岸とは、それら、とり残されてしまった物たちなべてを抱える岸ではないのか。そして、取り残されなかったものは何一つないのである。

 風あらき夕べ飛翔のかたちして禽が翼を展く籠(こ)のなか

 ありとしもなき身の殻を舞ひ出でて日の明暗に蟆(まくなぎ)

 ここに描かれている物たちは、この岸の芒漠とした闇の中にぽっつりとその存在を灯している。そして安永の目はそれらをけっして見下ろしてはいない。むしろとり残された弱小のものに視線は吸い寄せられるように及んでおり、目はそれらのものと等しい高さにある。自然と安永とは、自然対自分という対比の位置にあるのではなく、共にとり残されたものとしての共感に結ばれて存在する。一人、夜の岸辺にたたずみ、彼岸へ向けて〈紫の葡萄を搬ぶ舟〉を出発させた安永は、その心を抱えて囚われの岸へ、みずからの現実へ戻ってゆく。そこには、〈弾む蟆(まくなぎ)〉がおり、また〈翼を展く籠のなか〉の禽がいる。それらははかない虫けらや鳥であったとしても安永の分身である。安永は、それらの生きもののひたすらの生命のあり方にみずからの命の寂しさを見、みずからの命の意味を重ねずにいられない。
 この岸にとり残されて在るということ、それは生存しているということなのである。安永は北を想い、去った聖なるものを想う。想うことによって、そこから照り返されてくる存在の意味を探ろうとする。これが安永の抱える主題なのである。そして主題が作者と一体のものであるならば、この巨大な主題は、安永の人間像が捉えがたいということと無縁ではない。
 人間像がくっきりと浮かび上がるということ、それは外界や時代や社会と、作者たる〈私〉との差異がくっきりと見えるということであろう。もしその差異なり距離なりが全く不明になってしまったなら、〈私〉は外界に溶解してしまう。われわれは常に、さながら蝙蝠のように、外界との距離や差異をはかりつつ〈私〉という個人のあることを確認するのであるし、またそのことによってみずからの個性や、飽者と異なる特殊性を確認するのである。
 しかし、安永はむしろ逆に、外界の生あるものたち、とり残されてしまったものたちにうち混り、そこにみずからを重ねて、〈私〉の特殊性を消すことで、存在というものの意味に迫ろうとする。むろん、安永に外界との差異を敏感に嗅ぎとった歌はある。

 麦秋の村すぎしかばほのかなる火の匂ひする旅のはじめに

 この場合〈火の匂ひ〉は、作者の嗅覚を浮かび上がらせ、旅の始まりにふと立ち止まり行方を想う〈私〉の姿をくきやかにしている。しかし、こうした歌も、その連作の中で次のように回収されてゆく。

 かすかなる炎(ほむろ)となりし麦秋の村ぐるみ無限漂泊のさま

 〈村ぐるみ無限漂泊〉、この大きな把握は、ひとたび浮かび上がった作者像をたちまち呑み込み、広大な空間に漂っている人々の生活というものを想わせずにいない。漂う村を見ている安永一人だけが無事にそこに立ちつづけることはできない。安永と漂う村とはそこで一体である。安永はみずからの像を打ち消し打ち消し歌ってゆくのである。

 朝に麻夕には木綿(ゆふ)と遊ばず生きて夜ごとの湯浴み寂しゑ

 かへり来てたたみに坐る一塊の無明にとどく夜の光あり

 安永の作者としての〈私〉は、限りなくこの世の営みに自然につき添う。しかし、安永がみずからを〈一塊の無明〉と覚悟し、その暗闇から〈私〉を発語するとき、そこにはすでにこの岸にとり残された夥しい数の生命たちが連なり宿っているのではなかろうか。みずからの像を消し、共感をもって外界と結ばれているということは、すなわち、みずからを生命と名乗り、自然と名乗ることであろう。聖なる者の去ったこの岸に居並び、彼岸を憧れる者たちが、安永の発語に宿って一斉に〈私〉を発語するのである。そうであるならば、その〈無明〉たる〈私〉は何と巨大な〈私〉であることか。安永の〈私〉、それは生存という抽象である。この虚空のような岸辺に、その巨大な〈私〉を発語してゆくこと、それが生存の証である。それゆえ、安永の人間像の見えがたさは、安永が歌を歌おうとすれば必ずつきまとう、安永の本質なのである。
 こう言い換えることもできる。安永はその歌を老境から始めたのだと。歌作を開始した三十五歳の安永は、すでに老の魂の何たるかを知っていたのだと。奇妙な言い分かもしれない。しかし処女歌集である『魚愁』は、生存のテーマを明確に貫いた歌集であった。この岸の切岸に立って〈私〉と他者、そしてこの世の生命のなべてが生きて在ることの悲哀に結ばれるのは、そして生存の意味に迫るのは、多くの歌人にとって老境であるからだ。
 安永は生きて在ることの意味の探究にいち早く没頭し、多くのものを削ぎ落としてその意味を知ろうとした。みずからを他の生命たちと等し並みの生命の一粒に還元し、言葉をもってその意味を代弁しようとした。多くの表現者たちが、自己を他者、自己と時代や社会、自己と自然との齟齬、異和感から〈私〉というものを押し出そうとするのであれば、〈私〉を消すところからの出発はラディカルな方法意識であるといえよう。安永にとって〈私〉の小さな特殊性などはとるに足りない小さなことであったに違いないのだ。
 しかし、私はやはりつけ加えねばならない。安永に唯一欠けているのは愚かしさなのだと。この世の猥雑な悲哀に足とられ、それにうち興じる愚かで騒々しい人間愚を欠いているのだと。人間愚は時には最も濃い人間臭であり、その人間臭が人間である読者を誘うこともある。愚かな者同士が共犯意識で相結ばれるように。馬場が〈いささか捉えがたい疎隔感〉と呼ぶものも、その人間愚を退けた安永が自然にまとったものであるだろう。
 安永はむろんそんなことは百も承知である。知り尽くしたうえで、みずからを生存の証にすべくこの詩型に賭ける。

 日本に依り韻律に倚ることの命運つひに月花を出でず

 安永は深い怨恨の歌人なのである。