評論紀行

— 時代から奪い返すために —

「短歌朝日」00.3,4月号

 

今ほど評論の難しい時期はない。と書き始めてすぐに思い直した。つまり今ほど既成の論評、スタイル、トレンドの空しい時期はないのであって、それゆえ考えようによってはこんなにスリリングで裸で書ける時もないのである。大きな船を下りて小舟で岩礁の間を縫ってゆく、一攫きごとに自分を賭けることになるがそれゆえに面白いのではないか、と。

 そんな中で「短歌研究」十月号、短歌研究評論賞受賞の小澤政邦の『「も」「かも」の歌の試行』は論運びのスリリングさを楽しめる文章だった。論に導かれてどこに着くことになるのかわからない手探りの感触がある。雰囲気として漂っていながらなかなかその実体の見えにくい近代回帰の傾向やその情緒の質を「も」「かも」を手がかりにねばり強く論じており、その手際が読み応えとなっている

 一方でいくつかの心残りもないではない。素材である『草の庭』は確かに論者を刺激してくるユニークな歌集である。近代回帰を探るならそのサンプルとして論じる価値のある歌集であろう。しかし、サンプルは一つでよかったのかどうか、小澤の論に限らないのだが論じやすい歌集に歌論が集中してゆく傾向への抵抗があってもよかったのではないかと惜しまれる。

 また、この論では近代回帰を「(近代を)選ぶことのできる視点に立つ」ことによって相対化し批判と継承の両方が可能であるとしている。さらに近代短歌の感傷の質が「理想社会への移行の困難さの認識」を背景にしていることから、そうした叙情質が現代に再現されることで新たな閉塞状況にある現代に「最低限の近代詩の必要要件が(皮肉にも)よみがえるはずである」とする。しかし、方法論としての近代回帰を可能性と呼ぶのはやはり相当苦しいな、というのが印象である。文章は精緻であり誠実なのだがそれゆえに全体に価値判断への逡巡が滲む。小澤も認めるように、どのように優れたものであろうと方法論としての近代回帰は例えば茂吉、例えば啄木の縮小再生産である可能性が強いだろう。この論は『草の庭』論としては面白いのだが、大局的に近代回帰という方向を評価するのか否か、その価値判断が根っこのところで揺れている印象がある。

 「短歌往来」一月号の池田はるみのエッセイ『「晴の歌」を詠む』は「晴の歌」の原型に雄略天皇の国褒め歌を据え、昭和天皇の歌とその背後の物語として佐伯裕子、竹山広、山中智恵子らを読む。「国と吾が一体となって祝福の気分に満ちている」雄略の歌を「大いなる晴の歌」とするこの論は取りかかりの視点としては大柄な面白さがあるが、いきおい佐伯、竹山、山中らの歌が大いなる天皇の晴の歌の背後の<物語>となってしまったことに疑問が残った。論旨の一つは晴の歌の継承者として昭和天皇の歌を認知し、その死によって「晴れの歌」がなくなったとするところにある。しかしそうであれば現代の晴の歌への視点が一気に捨象されてしまわないだろうか。昭和天皇と雄略の晴の歌の質の差にもう少し立ち入った分析や昭和天皇の歌に対する価値判断が示されていたならとも思う。「晴の歌」を天皇の国褒め歌、帝王ぶりに求めるとき、そこには古代回帰の郷愁が働いていることは否めない。晴の歌のイメージが郷愁へと縮小してしまいかねないことに危惧を覚えた。

 いま、評論するということが面白くも難しいのはつまり、価値判断を難しくさせる何かが立ちはだかっているからだろう。未来が見えにくく判断を迷うまま書かねばならないのは誰も同じ状況だろう。これはここにあげた二つの文章を離れての印象評になってしまうのだが、全体になにかしら風通しの良さを感じさせるものが欲しいと思う。解釈の機微や陰影に心を託してゆくという書き方、あるいはもっと心情的な信仰告白のようなものとして、例えば天皇制と短歌の問題が語られるとき、そこにはある時点で論理を飛躍し論理性を拒否する心理が働いているのではないか。短歌表現を論理で切れるなどとは思わないし、そのすべてを解明できるとはけして思わない。私などの発言が時折論理的だと評されることがあるが、これが褒め言葉でないことは充分心得ている。短歌の奥行きにとって論理はたかが論理なのである。しかしされど論理でもあって、初手から論理性そのものが否定されてしまえば評論はニュアンスの探り合いによる混沌とした閉鎖空間となる。少なくとも評論は論旨と論理性に支えられてはじめてフェアでより広い交流の場を想定できるものであろう。そうした風通しのいい空間が想像できず文脈の行方が<時代>に任せられてしまう傾向はないだろうか。文脈を自ら生み出し、価値判断へ繋げる意志と論理力、少なくともそうしたものへの憧れがあってこそ風通しのいい評論が成立すると思うのだが。