「未来」50周年記念号
『未来』が五十周年を迎えるという。近年の時の流れの速さを考えると五十年という時間は一つの短歌史と言っていいくらいの分厚い遺産である。私にとっての『未来』のイメージは、草創期の歌人の<戦後>を抵抗体とし、写実の系譜を遠い懐としながら、自在な花を咲かせ続ける最先端の集団である。あるいはこれはあまりにも古風なイメージであるかも知れない。しかし、例えばこの抵抗体としての<戦後>という要素は五十年という単位で振り返るとき重要な要素としてあらためて見えてくる。意外な感じがするかも知れないが、八十年代後半から九十年代にかけての新しい歌人の誕生、ライトバースからニューウェーブへという一連のムーブメントも、『未来』という集団を軸に遠望するとき決してこうした時の彼方からのエールに無縁ではないと思うのだ。
ぼくのサングラスの上で樹や雲が動いてるって うん、いい夏だ
加藤治郎 『サニー・サイド・アップ』
鋭い声にすこし驚く きみが上になるとき風にもまれゆく楡
思い出の一つのようでそのままにしておく麦わら帽子のへこみ
俵万智『サラダ記念日』
「嫁さんになれよ」だなんてカンチューハイ二本で言ってしまっていいの
八七年、加藤治郎と俵万智がそろって登場したとき、確かに何かが起こったという気がした。それは新奇な流れの登場、というより水位の限界を越えた土手がついに決壊したという感じに近かった。短歌という韻文世界に囲われ育てられてきた言語共同体と、私たちが生活の場としている言語世界とのズレを一気に修正する流れ。そんな風に感じられた。俵の仕事は、短歌的、文語的文脈のうちに培われてきた言葉を日常語に翻訳し、平明な表現のなかにミニマルな短歌形式の美しさを再発見したことにある。旧来の短歌的文脈が抱え込んだ思想性や物思いの重たさを一気に彼方に押しやった<等身大>の歌だと思われた。一方、加藤の仕事は、今日の短歌的文脈を振り払った後の平野に新しい韻文を創り出すことだったろう。初期加藤のどの歌を見てもいい。いかにも日常会話で交わされる言葉に見えながら、実は日常生活とはずいぶん隔たっている。これらは映像世界で交わされるような会話であり、音楽のような口語である。加藤は、映像や音楽を手がかりとし、読者への媒体としながら新しい韻文の美しさを提示しようとしていた。
しかし、何かが決壊したという感触は、私にとってもうひとつ別の側面も意味する。じつはこの時、加藤世代(またはその周辺世代)の内面に、自らが体験した原風景や内的経験と現実とのギャップが堪えられないほど大きくなっていたのではなかったかと思うのだ。様々な変化があったが、ともあれ私たちは現実との関係を疑ったことはなかった。怪我をすれば痛いし、目の前の蟷螂は柔らかそうな腹部で呼吸している。冬には霜が降り、夏になれば青い穂を蓄えた稲が風に靡く。稲の葉は意外にざらざらしており、そのことは誰でも経験として知っているはずだ。そして何より私たちは日本という言葉と生活習慣とを共有する空間に棲んでいる、と。しかし新しい世代にとって自分の経験として内面化されていた世界は、こうした現実ではない。加藤が二十世紀の二大事件として原爆投下とジョン・レノンの死を挙げたとき、おそらく<体験>というものの質、<現実>というものの意味が変わったことを彼は告げたのだ。彼は自分の内面に日本より親しいアメリカを蓄え、蝉取りよりずっとスリリングな拳闘映画の映像を<経験>として蓄えていた。俵の<等身大>の日常がテレビのホームドラマを通過していないと断定できるだろうか?そして、以降の世代にはそのような<経験>が当たり前になってゆく。短歌が培ってきた言葉の共同体は、徐々に高まっていたこの新しい<現実>の圧力を巧みに感じないことにしてきたかもしれないのだ。
同じ事は紀野恵についても言える。
笹の葉をかざして渡る朝河や吾と風流男(みやびを)と天に狂へる
紀野恵『さやと戦げる玉の緒の』
ゆめにあふひとのまなじりわたくしがゆめよりほかの何であらうか
紀野は、王朝文学の世界を思わせる新古典的な作風で登場したが、彼女にとっての王朝文学は修辞や技法であるのみでなく<体験>であり<記憶>なのだ。ブッキッシュな歌だが、それらは教養ではない。もっと真剣な遊びのようなものであり、その卓抜な修辞は、既存の言語共同体に対して差し出されている担保のようなものだろう。紀野の歌はあらかじめ孤独なのであり、短歌という定型がその孤独を形にし、音楽としていた。
こうした新しい言葉の可能性に積極的に続く歌人として『未来』では東直子、大滝和子も思い浮かぶ。
毒舌のおとろえ知らぬ妹のすっとんきょうな寝姿よ 楡
東直子『春原さんのリコーダー』
いいよってこぼれたことば走り出すこどもに何をゆるしたのだろ
東直子の言葉は、既成の短歌の垢を拭いきるほどスリムに磨かれている。母として子供を歌ったらしい歌、家族の気配などがないわけではないが、それらは限りなく遠く、言葉に音楽性と温もりとを与える契機として存在している。そして音楽により近づいた言葉が、まさに音楽的に心の微動や揺らぎを感じさせている。それは従来のように心があってそれを表現するのではなく、表現された言葉の音楽性が、心に近い何かを伝えるというものである。
サンダルの青踏みしめて立つわたし銀河を産んだように涼しい
大滝和子『銀河を産んだように』
あおあおと躰を分解する風よ千年前わたしはライ麦だった
大滝は喩から喩へと軽々と渡り移ってゆく運動体のような言葉で、生身の肉体と生活の現実的な規制をあらかじめ超えていた。例えば女であることなども大滝にとっては言葉の飛躍の契機でしかない。そして言葉の裡に息づいている世界への直感には祈りのような抒情があった。
こうした経験や体験の質的変化を伴った新しい歌の動きは当然それまで暗黙のうちに了解されてきた<私>、作品の背後のたった一人の<私>の有り様やその解釈も揺さぶり、今日に至っている。
九一年、俵万智、加藤治郎に続いて穂村弘が登場したとき、三枝昴之と私との間で小さな論争があった。それは私が無自覚であったゆえに小さなものに終わったが、振り返ってみるとき意外に大切なポイントを含んでいたかもしれないと思う。一番の争点となったのは、穂村のつぎの歌の解釈をめぐってである。
ほんとうにおれのもんかよ冷蔵庫の卵置き場に落ちる涙は
穂村 弘『シンジケート』
私はこの歌を次のように読んだ。「穂村には意味よりも瞬発的なフィーリングで迫ろうとする勢いがあり、彼の歌が読者に届いたかどうかはこの感覚を共有できたか否かによるところが大きいだろう。(略)また一首目の歌のような根拠の無い感情のほとばしりも印象的である。それは全く無根拠な涙であるゆえに現代的なのである」。(「かりん」九一年二月号)これに対して三枝は次のように異論を唱えている。「しかしこれは無根拠な涙なのだろうか。根拠は示されていない涙だとは思うが、それは必ずしも無根拠ということとはちがうだろう。何か辛い出来事を背負いこんでめげている<私>の自問の姿、そんな場面を想像するのが歌に対して自然であるように思える。よりわかりやすくいうと失恋の痛さとしての自問の姿、それを想定しておきたい」(「かりん」九一年五月号)。
この二つの読みのどちらが正しいのか、今も私にはわからない。ただ、時間を経、どちらの解釈も等距離に思えるようになって眺めてみると、これらの解釈がライトバースあるいはニューウェーブと呼ばれた一連の歌人達を短歌史的にどのように見るのかという問題をその核に含んでいるように思うのだ。この、歌に<根拠>があるのか無いのかという問題は、じつはこの歌を支えている<私>の質をめぐる問いであった。三枝は、穂村の歌を近代以来の<私>の延長上にあると解釈し、<根拠>を隠すことによって歌の鮮度を高めているとする。そのような失恋の涙であるならば、啄木の青春歌や、牧水の恋愛歌の九0年代版であり、この歌の<私>は、いつか失恋やこの歌自体を<人生>という時間の一時期とし相対化してゆくことになる。一方私の読みは、この歌の背後におよそこれまでのような脈絡ある<私>的背景はないとするものだった。それは同時に、人生という言葉に象徴されるような過去から未来に流れる時間を背負った<私>を想定しない読み方であり、「冷蔵庫の卵置き場」と衝突することによって瞬間的に現れる思いがけない<私>にほかならない。この<私>は、いつかこの瞬間を青春の痛みとして相対化することもなく、近代以来の文学史の中における突然変異としていつまでもここに立ち続けることになる。
この<私>をめぐる議論は、一連の新しい動きを経験しながら交わされたものだが、当時から今に繋がる動きには常に、<私>は変わったのかどうかという問いが孕まれていたように思う。<私>は変わったのかどうか。短歌史の視野から今の地点で判断できるものではないと思う。ただ、しばしば使われる「出口のない青春」という表現が示すように、彼らが人生的に流れる時間を遮断したところに言葉の地平を拓いているということは言え、その意味で特色がある。少なくとも五十代で老いを歌い始めた茂吉のように人生の時間がもたらすものを有難く感受するという感覚は彼らにはない。しかしだからといって<私>がすっかり変わったというにはまだ何か不足がある。彼らは魁として既存の言語共同体に切り込んでゆく気迫を言葉の感度に託していた。しかし、そうした試みの新鮮さが言葉のレベルでのみ云々されるとき、むしろその価値は局部的なものになってしまうのではなかろうか。短歌は言葉である、という一点に容易に収束していかない歌論の複雑さをこのごろ思うのだ。
これらの歌人達の登場から十年を経た現在広がっているインターネット世代の歌は、歴史性や人生的な時間の流れを持たない。その意味で新しい<私>の有り様を見せている。<私>の内側で順当に流れる時間が遮断され、時代の平原に漂い出てきた<私>の群像。個別性を主張しない<私たち>がそこに現れたと言える。その<私>の群は、<私>レベルでは個別性を主張しない代わりに、表現の個性化を強烈に志向している。しかしそうした言葉の個性化への切実な志向が、かえってある単調さを帯び始めていることを危惧してしまう。
そんな歌の情況を背景に『未来』という集団を思うとき、そこに流れている時間の厚みと多様な個性にあらためて注目する。そこではライトバースやニューウェーブが、突然変異ではなく、抵抗体としての先行世代をもっているのではないかと感じさせるからだ。例えば加藤治郎が原爆投下をアメリカ側の舞台を設定して歌ったとき、未来が蓄えている<戦後>の文脈が加藤を<そこではない場所>に押しだす契機となりはしなかったか、と思うのだ。同様に「正義の側に立たない」という彼の文学的態度は、文学はどのように正義を果たせるのかを模索してきた先行世代への刺激的なエコールとして見える。また紀野恵の独自な世界は、岡井隆による<私>拡大の試みの遺産なしには拓かれにくかっただろう。少なくとも読者としての私には『未来』という言葉の磁場で交わされている有形無形の会話がそれぞれの歌を支え、押し出しているように見える。つまるところ『未来』は、まるで突然変異であるかのように生まれたライトバースやニューウェーブを時間の中に位置づけ、文脈を与える場として働いているように感じられるのだ。
文学の最終的な問いの一つは、個々の作家は所属する文化や言語の思考様式とどのように向き合い、それぞれの<私>を賭けてそこを克服するのか、ということにあるだろう。<私>への回帰は、直ちに近代の私性、私語りへの回帰を意味しない。私が見てきたのは、これらの歌人達が生活のレベルにおいてこれまでとは異なる言語体験を蓄積し、既存の言語共同体を違和感を持って相対化していたということだ。かつての短歌的言語共同体は、いまから考える以上に巨大な抵抗体として彼らの周囲にあったはずだ。しかし、そこと衝突するエネルギーが彼らの<私>を鍛え、新奇であるはずの言葉にかつてないリアリティーを与えていたのではなかったか。こうした相対化のエネルギーを蓄えた視線こそ今日の<私>であろう。そしてそこには言葉が何らかの意味で共同体を背景にし、今日の文化の中でいくつか共存しているらしい、ということが複眼的に理解されていたはずだ。ライトバース、そしてニューウェーブ登場の意味はそこにあった、と私は思う。