羊たちの家

2002/7, No.8

 

軒のモルタルが剥がれた、と言う。この前は物置のスレート屋根に罅が入ったのだった。これは大変だ、と直感する。軒のことではない。築三十年以上たつ家が傷んでいるのは当たり前で、特に驚くこともない。だがそれを見つけた母の精神状態が気がかりなのである。母は郷里に独りで住んでいる。父が亡くなった後、家族の巣立った後の家を守りながらいつのまにか独居老人と呼ばれるようになった。過疎のすすむ郷里は私が出てからの二十年で人口はさらに半分に減った。老人の人口比が日本一高い、高齢化の見本のような町である。

 母にとって父と共に建てた家は今や父の分身である。家が老化し傷んでゆくことは父が再び死んでゆくようなものだ。この前物置のスレート屋根が割れたときには、修理の大工が来るまでの一週間、母はおろおろと物置を見上げて泣いていた。雨が降るとそこから染みこむ雨水を雑巾で拭い、動かなくなった父の身体をさするように物置に話しかけた。今度の電話でもすでに母の心は尋常を離れてしまっているのがわかる。顔見知りの大工がなかなか来てくれないという。父が元気だった頃は父の声一つで飛んできたのに、と。モルタルの罅から雨水が沁みる音がする、とすすり泣く。もう一度だけ電話してごらん、と気休めを言う。そう、朝電話するのがいいよ、夜は大工さん酔ってるかも知れないから、と言ってとりあえず電話を切る。私にはもうどうしていいのかわからないのだ。

 数年前、玄関の改修工事をしたとき、母は言った。もう私の代ではこの玄関は手を入れなくていいね、と。私の代?私は口の中で繰り返す。母のあとこの家にはたぶん誰も住まない。住みたくても無理だ。妹も私も都会に仕事と家を持ってしまっている。そもそも町自体がそんなときまで残っているだろうか。母の代、そしてその次の代・・・、代々という突然現れた異空間に私は怯える。

 この家で一人きりになってしまってからも母は毎年年末になると餅米を買い込み餅をついてきた。小さな機械で蒸し、そのままつきあげるから一人で出来なくはない。だが、大量の餅米を研ぎ、つきあがった湯気の立つ餅を黙々と一人で丸める母の姿を想像すると私は自分が幽霊になってしまったように感じる。家族が皆揃っていた頃、年末の餅つきは家族行事だった。父のかけ声、母の陽気な笑い声。私たちは餅のつきあがるのを待つ湯気に包まれながら膝を揃え、はい、丸めて、という母の号令を待った。餅米の日向臭い甘い香り。熱い餅の赤子のような手触り。母は熱い大きな餅の塊を器用に家族四人に分け、それをちぎって丸めるよう促す。いかつい父の手が用心深く大きな餅の端から小さな一切れをちぎり、丸めてゆく。私と妹はそれに習う。母はありありと家族の気配と笑い声とさざめきに囲まれながら一人で餅を丸めるだろう。私は湯気のような靄となって母を包んでいる気がする。居なくなってしまった家族、亡父と妹と私は毎年姿のない気配となって集い、一人きりで餅をつく母を囲む。

 忘れられない風景がある。スコットランド西岸の小さな島を旅していたときのことだ。目的もない旅だったが、堅固で明快なヨーロッパ文化を見慣れた目に滅んだケルト文化の遺跡が懐かしかった。見渡す限りのなだらかな草原と思われた場所に、よく見ると建物の跡がある。石組みの壁の二面が残り、そこに蔓草がからみついて樹木のように見えていた。目が慣れてくるとそこが教会だったことがわかった。建物を囲むように倒れかけた墓石が並び、刻まれたケルトの文様はもうわずかな凹凸しか遺していなかった。おそらくこの周囲には村があったはずだ。村人の建物はすっかり草原に埋没し、堅牢だったこの教会だけが遺跡となった。私は朝の陽光の中で湿りを帯びて眠るこの教会の美しさに感嘆し、永いミサを思った。

 そして夜、偶然この教会の脇を通ることになった私はもう一度感嘆させられたのだった。真っ暗な草原で、道を失ったかも知れない不安に駆られながらハンドルを握っていた私の目に飛び込んできたのは、ヘッドライトを浴びて光りを返すたくさんの獣の瞳だった。羊だ。近づくと白い毛に包まれた百頭あまりの羊がなにかを取り囲むように集まり、眠ろうとしていた。速度を落とし、羊たちが囲んでいるものを見ようと目を凝らすと、建物の壁らしきものが闇に浮かんでいるのか分かった。あの教会だった。闇だけを見つめてきた目に教会はいっそう懐かしかった。昼間あちこちで鳴き声をあげていた羊たちは今は声をたてない。やわらかな白い毛を押しつけあうようにして見渡す限りの闇から集まってきていた。家族、唐突に私を訪れた言葉だ。羊たちが取り囲んでいる廃墟には記憶が棲み、記憶が闇を和らげる。遠いケルトの歌声が葉擦れとなって夜ごとに流れ、北方のひときわ深い闇を宥めている。羊たちが眠りを寄せ合う場所はここだった。

 父の席には今も窪んだ座布団が置いてある。母はそのあたりの空間に向かってさあ、頂きましょ、と話しかけてから箸をとる。誰もその席には座らせない。どんな客もそこを明けておくよう言い渡される。私と妹の高校時代の制服、賞状、小さなトロフィー、オルガン、ぼろぼろのバイエル、錆びついた学習机、そんなもののために鍵をかけたままの物置がある。母はそこに何があるのかを今も諳んじている。家族がいた空間は母の手によって過去になることを禁じられている。過去になることの出来ない家族はこの家に訪れる容赦ない時の流れを呆然と眺める。そして、時々、母の居なくなった家も眺める。

 いつか私たちはひっそりと闇の中から集まってこの家を取り囲むだろう。もう二度と甦ることのない家族となって、私たちはモルタルの剥がれ落ちてゆく家を見つめ、沈んでゆく屋根を見つめる。私たちは鳴き声をたてない羊となって身体を寄せ合う。そしてたぶんかつてないほど確かに家族を感じるだろう。