歌集「青鯨の日」から

著者: 川野里子 発行: 砂子屋書房

 

30才から37才までの作品。
二年間の米国カリフォルニア州での生活、帰国という文化ギャップを背景としています。
1997年9月刊。

抄録を掲載。

→ 歌集「青鯨の日」

I 


 飛行機は夏空へ気化を終へむとし吾は歩むなり自転車を押して

 どこにでも眠れる技(わざ)は花合歓(はなねむ)の少女期すぎて哀しみとなる

 越境し越境し心光りたる七星天道虫(ななほしてんたう)草の穂を翔(た)つ

 快晴の空のかぎりを茂りゆきこの国を庇ふ樹のやうな詩よ

 菩提樹はほのぼのと老けてゐたりけりどのやうな魂(たま)も惜しみ愛すと

 おつとりと眠るがごとき生欲しと象にし問へど苦しむ象も

 この空のほつれ目のどこか明るみて水仙の伸びて流るるかなた

 夫(つま)と子と季節のはざまに変態し擬態し女らやはらかくゐむ

 泥牛蒡しなひて袋はみだすはリズムをもちて運ばれて行く

 始めたる擬態はとげねばならぬゆゑおよそ春の枝(え)となるナナフシは

 わたくしは太古てぶらで生きてゐたはなみづき力あふれて咲きぬ

 はなみづき恋のつづきの家族にて咲き盛る白が痛くてならぬ

 ある夜は暴力を秘めてしづかなり樫と呼ばるる百万本が

 ぼたんゆき明るく暗く埋めゆくに安寿を犠牲(にへ)に厨子王生きき

 夫(つま)がもつ柔らかいからだ堅いからだある日波うちわれをとりまく

 かたち変へ滅びては生(あ)るるわが夫に添ふ一本の木訥(ぼくとつ)な木は

 灯を消せば夫のむらさき子のむらさき山牛蒡の実の色に広がる

 おもしろき男なりけり妻と仕事といづれと問ふに苦しみをりぬ

 抱へなほし抱へなほせる白菜の重みが恋に似てゆく雪夜

 ぼたん雪あやすがに降り降りつのり哀しみやすきも卑怯とおもふ

 牛頭馬頭も首さしいれて憩ひけり豆腐煮てゐるここ閻浮提(ゑんぶだい)

 清潔な包帯空に翻り届かぬところで膿む悲しみは

 明け近き闇よりゆつくり盛り上がり少年はひとつ寝返りを打つ

 おとなしく総統(アドルフ)は猫になりゐたり寝がへれば天しんかんと天

 見る夢もなきまで疲れ夫眠るさびしく大きものと化(な)りつつ

 観覧車極まりて空に高きとき歓びは似るふかき畏れに

 背に重きなにか負ひたき薄暮にてひとこぶ駱駝のわれ子を乗せぬ

 東京湾にフランケンシュタイン泣く声はをんをんと走り子は耳聡し

II


 ふるへるやうな過渡期と思ふ越えてきし大洋を朝の陽が離(か)るるとき

 広大なパーキングわれと子を呼べる君は小さく光まみれなる

 合衆国は夏のしづけさ太陽のめらめらと深き孤独を冠(かぶ)り

 ユダヤ人その漂へる意思の民ハヌカーの灯を隣人は点ず

 手のひらに豆腐ゆれゐるうす明かり 漂ふ民は吾かもしれず

 ああなにか卵も木々ものびあがり今日はおつとり郵便配達人(メイルマン)来る

 刃のごとき月の輪郭かうかうと強き光に砂漠をわたる

 焼き上げし麺麭いつくしみ運ぶ子よ力尽くしてやはらかくあらむ

 サングラス越しのアメリカ太陽の微粒子が砂に変へてゆく街

 まどろみの二月迷ひの三月を楽天的に陽は太りつつ

 国境のフェンスの抜け穴越しに見え迫りきて赤きメキシコの土

 わらわらと人こぼれいづる国境を咲き広がりて罌粟はなだれぬ

 どのやうに生きてもいいか王者街道(エル・カミノ)たとへば空の肯ふやうに

 斑(むら)消えの白線のむかふ物乞ひの母と子は立てり国境の町

 むらさきは生き急ぐ足にふと触れてピーターパンといふ常夏の花

「青鯨の日」13首 


 双眼鏡(ヴァナキュラ)に浪がしらのぞく眼差しの青より青を狩りし一夏

 明朗に日本を捕らへまた逃がし加州にわれら海賊たりし

 たましひは鈴ふりながら相(あひ)遭ふとセダンをつらね縫ひしハイウェイ

 沖をゆく青鯨よりもなほ遠く日本はありて常にしうごく

 日本に帰れぬ友と帰りたくなき友つどひ母語にて黙る

 光粒子(フォトン)なほカリフォルニアに偏在し君は死にしか死を解けぬまま

 見よと言ひて弾創のこる胸ひらくアッシェムするどく我を見てゐき

 トドの尾にふれて驚くたなごころ少年はかざしましぐらに来る

 五人では子供足りぬと言ふ女イスラエルより来て梨買ひてをり

 こひねがふ言ひがたきことは生きむこと死者を得し生わづかに太り

 洗濯機(ウオッシャー)の糸くず取りを稼業としサムソンが歌ふ いつだつて晴れ

 魂(たま)しづめとほき金環食ほどに君を死なせずいつまでも夏

 感傷はここまで 高く潮吹きて生き残る巨躯を言はぬ青鯨

 手つなぎて眠るまで野馬のこと語る岬にゐたる盲目の馬を

 アリゾナの軽き骨笛あかるさに負けて死にたる獣を鳴らす

「アリゾナ」5首 


 峡谷をはひのぼりくる風の声あかあかとわが真裸の母語

 はなむぐり花粉まみれの飛び去ればなにもなきこと満たせる天地

 ああなにか幻のごと花咲くとサボテンを指すわれもその花

 太陽はやがてふたつに分かれゆく黄昏の台地(メサ)の祈りを間(あひ)に

III


 帰りきて逢ふさくらばな一夜かけ思ひの国に還りゆくかな

 夜の桜ほろほろと風にほぐるるに母語の襞こそわれ哀します

 名づけがたきさびしさとして思ふなり母国に生(あ)れいつくしまれてそこに死ぬこと

 哀しみと愛(かな)しみはひとつ遠く夜の古木(こぼく)ま白き桜花を噴きぬ

 かしこまり電車待つ父母点景ににはかに肥えし東京が見ゆ

 背を丸めスクランブルを行く老父(ちち)が東京者の無礼を赦す

 独活(うど)の木の老父(ちち)が時間を超えたくて病廊をゆけば独活の木従ふ

 片足を毛布から出し眠る子は片足を残し膨れてゆきぬ

 高く高く偏西風帯笑ふとき障害物競走してをり吾子と

 気狂ひし夫はだしにて追ふ夢に我が掴まへし一束の麦

 ウェブのなか夫にひらけし余暇はあり静かに湿る千人の夫

 研究室の窓より霜咲く枝見ゆとそれのみの電話夫はかけ来ぬ

 天(あま)つ陽はアンデスの峰を越えゆくと遙かなる風馬鈴薯を吹く