いま、愛の歌 5

— 直に見入りつ —

読売新聞02・10・13

 

愛という形のないものを確かめたいと少女のころ熱望した。いろんな手段で親や友人を試したのもこの時期である。やがて大人になり家族を得てみると愛を怖れるようになった。子供のためならどんなことでもしかねない荒々しい欲望や、長い時間の中で窯変を続けてゆく伴侶への感情。そのようなものを正視したくはない。自分自身にとってこそ愛は怖ろしい。

 

 我が瞳直(ひた)に見入りつ其瞳やがて眩しげに閉ぢし人はも

窪田空穂

 

死期のせまる妻が夫を見つめる。言葉のない会話に夫の全てを見、目を閉じた妻の表情には確かに愛を見たという満足がある。そして亡き妻を回想するこの歌には愛の輪郭がくっきりと現れている。

長寿であった空穂は、悠々と流れる愛の大河といった風情の歌人であるが、その愛はなぜか死に縁取られていた。妻の死、息子の戦死、愛は死という理不尽な連れを伴ってその姿を現す。この美しい愛の歌にも、生涯にただ一度見てしまったものへの懼れの感情が滲んでいる。

近代の愛の歌を見てゆくと、実に多くが死とともに詠われていることに気づく。死が今より身近であった時代の愛は、哀しいほど鮮明な輪郭をしている。

現代の愛は何によってその輪郭を現すのだろう。あるいは孤独だろうか?

 

 早く速く生きてるうちに愛という言葉を使ってみたい、焦るわ        

穂村弘