いま、愛の歌 6

— 海境への恋 —

読売新聞02・10・20

 

海境(うなさか)という言葉が好きだ。海の果てには何があるのかと想像すると切なさで胸が痛くなる。昔の人々が困難を侵して海を越えたのは、戦争や政治やらのっぴきならない事情からだろう。けれどその底に訳の分からないスピリチュアルな衝動があったはずだと私は信じている。 

印度に憧れるあまり徒歩での旅程表を書き綴りついに叶わなかった明恵。宋への旅を果たしさらにそこから天竺への旅を夢見て叶わなかった栄西。彼らを動かしたものを歴史は宗教だと言う。しかし、本当は宗教の彼方に見える海境への止みがたい憧れではなかっただろうか。

 

 天翔(あまがけ)りあり通ひつつ見らめども人こそ知らね松は知るらむ

『万葉集』山上憶良

 

渡来人と言われている憶良が有間皇子事件に寄せたこの歌の空間の広がりは印象的だ。皇子の魂は自在に天を翔け来ているのに人はそれを気づかない、松は知っているのに、という。憶良にはいつも自由な風が吹いていて、挽歌さえ大らかだ。憶良を大切な歌人の一人とした万葉集は、大陸への憧れと交流の中で磨かれ育った。そんな当たり前を憶良は思い出させてくれる。

その憶良に今最も近いのがリービ英雄だろう。万葉集の研究家であり、日本語で小説を書くアメリカ人。彼の越えてきた海境は言葉の裡にあった。不可思議なスピリッツはこの作家にも見える。飛行機で簡単に越えられない海境は今も確かにあって、だからこそ誘うのだ。