米川千嘉子論

— 朱夏混沌 —

「かりん」94・9

 

『一夏』書評

米川の歌にはその出発の頃からつつましさの陰に、注意深くしまわれた何かがあるという気がしていた。例えば、『夏空の櫂』では次のような歌が印象的である。

 

 <女は大地>かかる矜持のつまらなさ昼さくら湯はさやさやと澄み

 

 一読してその印象はさわやかである。だが、さくら湯の匂やかさに包まれた否定は、気がつくと意外に大きい。私はこれまで、<つまらなさ>を前世代に対するポーズのように思ってきたが、いまは少し違う働きをこの言葉に見る。米川の歌に対してしばしば言われるように、確かにここには知的な明るさがあり、それが女をテーマにした歌に新しさを加えているのだが、それ以上に、米川が抱えるなにか原初的なエネルギーの激しさを覆う役割をしているのではないかと思うのだ。

 『一夏』では、それはさらに明かな、もの言いのかたちをとって現れているように思う。

 

 ああ母でなくともよしと樹は立ちて天に吊らるる濃緑の躰

 

 母なるゆゑいのちの重さ知るべきか母なるものは人も殺めむ

 

 ここには甘やかな、通りのいい母親観は見られない。むしろそうした母の像に対する怒りがモチーフになっていると言えるだろう。<母でなくともよし>の声を聞き取れるのは、母であることに自覚的であった者のみが得る内省の力による。母であることも母でないことも、現代においては、天然自然のなりゆきのおおらかさにはるかに遠い、自我への不断の問を背負った営為なのだ。おそらく米川は、<母>のテーマに喚起されがちな肉体への直結、自然回帰といった安易な主題に最も厳しい目を向ける一人である。

 二首目の歌が発表された当時、かしこで湾岸戦争が話題となっていて、命を産み育むという母親の視点が注目されていた。米川はそうしたかまびすしい反戦論議から一歩身を引いたところで再び母親像が古風なものへと返り咲いてゆくことに対しての憤りを抱えていたのである。命を産むものは命の重たさを最も知っているのだという自負は、直情に訴えつつもどこかセンチメンタルである。それは反戦のテーゼとして働く以上に、<母>をがんじがらめの母性に押し戻してしまいかねない危うさを含んでいることを米川は見逃さない。<母>という不可解なイデーの内側にこもる、圧倒的な力とその苦さを感知するからこそ、それより小さなまとまりのいい観念への縮小を糾弾するのである。

 さきの二つの歌は、どこかリアルタイムな世界から一歩身を引いたところで煮詰められる怒りがモチーフとなっていたが、『一夏』の世界にはそうした根深い、原初的なと言ってもいいエネルギーがより明らかであると思う。それはもしかすると、女であることや、母であることという明確なテーマの形を成す以前のものとしてあらかじめ米川が抱えていたものかも知れないと感じる。

 

 ぐいぐいとひかりが墓のごとく立つ雪晴れの街青首大根さげて

 

 米川の描く自画像は力強く輪郭鮮やかである。私たちは日々実にさまざまな物に囲まれて暮らしているけれど、そうした物の輪郭がくっきりと見えるというのは本当は希なことなのだ。僥のような瞬間だと言ってもいい。激しくその形や意味を変えてやまない外界に対かい合うとき、その流動と混沌の中で、私たち自身も無事ではいない。草木の季節による変化のようなささやかなものでさえ捕らえがたく私たち自身のゆらぎとともにある。米川は、そうしたゆらぎの余韻と変化の予感の間に自らの命をびしりと焼き付ける。それは、知的な自己把握でありながら、同時に混沌としたエネルギーのみなぎる像であり、その歌い方には、なにか自身の力を御しかねている感じさえあるように思う。

 

 乳与へて立ち上がりたれば草も陽も一夏の濃ゆき輪郭に燃ゆ

 

 抱きあぐるひとたびひとたびひらめきて子は官能の白刃のごとし

 

 命を生み育むという未知の時間の最初の日々、自らの乳の香に蒸せかえるような混沌の中からすっくりと立ち上がった一人の女の目に、世界は実に鮮やかな輪郭を持って迫る。そのくきやかさは子産みや子育ての遥かな時間の連続への参加の瞬間であり、肉体もろともの変化の自覚に支えられた自負である。

 第一歌集で、

 

 否といふこころに食めりみづみづと平原のやうな大真桑瓜

 

 と歌われた伸びやかな自負の心は、乳を与えるという肉体のせつない綻びや、子どものいとおしさを味わうという、遥かな命の営みへの参加によって、常に<私>を奪われてゆく危機と背中合わせとなる。『一夏』の世界はまさにこの危機感とともに現れる、<母>という(多分に歴史的な)普遍への拡大と参加をどのように自らのものにするかという大きなテーマを負っている。嬰児と母とが官能の悦びによって結ばれてもいるという言挙げは、感覚の真実を理性の明るさのうちに置こうとする意志に支えられている。それは、例えば森岡貞香が、

 

 うしろより母を緊めつつあまゆる汝は執拗にしてわが髪乱るる

 『白蛾』

 

 と、わが子との触れ合いの官能性を告白し、母性に対するイメージを大胆に描きなおしてみせた収穫を振り返るとき、時代のもたらす方法の違いとして明らかになるだろう。米川の歌には、それらを踏まえたより自覚的な<母>というテーマへの働きかけが見えるように思う。米川にとって現実に母であることは、母という普遍性への内側からの働きかけである。そこには一人の個人の体験としての母親像以上に、<母>というイデーに対する問いかけが刻まれることになる。一人の母親の背後にいる同時代の母たち、さらに、歴史の背後にいる無言の母親達が米川の母としての行いの全てに影として添うのである。<母>であること、<女>であることを、どのように味わい、またゆすり動かしてゆくのか、まさにそうした運動としてこれらのテーマはある。

 同時代者によって絶えず試みられてきたこれらのテーマにおいて、米川が個性的なのは、多分に肉体性の領域のものであるテーマを<知>とわかち難く結び付け、さらにそこにあらたな肉体の感触を与えていることである。母であり、その現実の重たさを描き留めることと、<母>や<女>であることに思索のメスを入れることとは近いようで遠い作業である。それら二つのベクトルの交じりあう地点に言葉を置くというのは意外に難しいことなのだ。米川の場合、そうした思索そのものをひとつの運動として自らの<肉>となるまで咀嚼してゆく。それゆえに歌は決してスマートではない。もしもそうした思索が理性の判断に多くをゆだねるのであったならば、歌はなめらかな、しかし冷めたものとなるだろう。しかし、米川の言葉にはそうした理性の及ばないところがあり、それはなにか怒りにさえ近いような原初的な力をたたえて、わずかに知を超えていると思う。米川の描く事物のくきやかさ、力強さはなによりもまず直感としてのその力の働きを感じさせるからに他ならない。


 

 苦しむ国のしづかにふかき眉としてアイリッシュアメリカンゲイの列ゆく

 

 ああまるでをみなのことを言ふやうに月花もて括る日本のことを

 

 二階だて観光バスに見下ろしぬ太り苦しむ紅毛の人を

 

 

 米川のアメリカ詠にもこうした肉体感は明らかである。言葉の一つ一つが与える響きは、まずなによりも作者の肉体の一部としての眼差しを感じさせる。ことに一首目の、ゲイのパレードを<眉>に例えた比喩は風景としての外的なものを内面のものにしているし、巨大な、国という単位の問題を感覚を通じて読者に手渡すことに成功しているといえるだろう。他国の混沌と自らの価値の混沌を同じレベルに置き、裸でぶつける誠実さが現代的な広がりを産んでいるとも思う。

 ここでは、全体として、旅行者であり外部の人間に過ぎないのだという自覚が米川の視点を明確にしているし、見ることの限界に対する痛みとしてアメリカ詠に添っている。その痛みとストイックさが良質な批評を産んでいるのだとも言えよう。しかし、こうした自覚は反面では米川を不自由にしているのではないかとも思う。

 例えば、二首目に見えるような、欧米人の単純きわまりない日本観に対する戸惑いを女性史の痛みと重ねてゆく視点は、明瞭である。しかし、この場合、女であること、日本人であることは、二重の枠組みとして働き、米川の発語をあらかじめ規制していないだろうか。

 ことに三首め、<紅毛の人>には、どこか息苦しいものを感じる。確かにこの歌には、われわれの屈折した憧れの対象である<西洋>の現在が描きとられていると思う。しかし、<紅毛>という言葉には、そこにおのずから添う近代の日本人の自我意識の匂いがあり、それは思いのほか強い束縛力をもつのではないかと思う。西洋人を<紅毛>と呼んだ頃の日本は、その驚きのこもる言葉の背後に確固とした非西洋を蓄えていた。しかし現在、われわれは、もっとあやふやなところでそのアイデンティティーを問われているのではないかと思うのだ。

 確かにそうした国を単位としたアイデンティティーのゆらぎは、<国といふ悲しみたがる精霊を人は飼ひゐて空港に風><古語辞典紛れのやうに挟みこむ「かなし」一語はいかにか帰る>といった歌となって視野に入れられているとも言えるだろう。だが、同時に、

 

 アメリカが映す奇怪なニッポンに笑みつつやがて疲れはじめぬ

 

 といった歌、ことにその<疲れ>には、近代の知識人が外側から眺めることになった<ニッポン>への感慨からの距離観が希薄なように思う。母であること、女であることが力強い輪郭を持っていることは、時流を一歩引いた米川の姿勢の確かさとなっていたが、アメリカ詠における日本や東洋の見え方にはその姿勢の引き方のゆえに、自らの混沌の真実を退けることになっている部分があるのではないかと思う。旅人であるという自覚が産む姿勢は、歌の居ずまいの良さとなって安定感を与える反面、どこか近代の<眺め>の色を帯びて、おのずからその限界を設けることになっていないだろうか。なによりも、未知に裸で接する息づきや、デテールによって揺らいでゆく<私>の<なにか>を見えにくくしているのではないかと思う。



 流動する世界の出口のない痛ましさや、価値観の混迷は、素材を正面から扱うことをますます難しくしているし、ときには表現すること事体への疑いを産んでもいる。短歌に限らずさまざまな分野での試みが、方法論の残骸を残して解体してゆく有り様を私たちは常に目にしつつ走っている。そうした眺めの中に米川を置くとき、そのあり方はいかにも淡々としており、またつつましい。しかし、同時に信頼を寄せることが出来る確かさをたたえていて、その確かな感じが何に依るのかをしばしば思わずにいられない。

 

 みどりごの甘き肉借りて笑む者は夜の淵にわれの来歴を問ふ

 

 木らは木の領域はみだすべからずと植ゑられし楓ふかく紅葉す

 

 

 この際だって厳しい視線は、感官をさするような韻律や幻想の美しさを追求する立場や、歌がせめて読む者を救うものであってほしいとする立場とは明らかに違う。むしろ、言葉によって現実に傷をつくり、そこを手がかりとしてより確かなものを開いてゆこうという意志が見えるように思う。ある絶対の現実のリアリティーが主張しにくい現在、何を現実とするかはある種の選びにすぎないという考え方もあるが、米川にはそうした現実の流動に溺れない力強さがある。私たち読者が米川に感じる信頼は、おそらく米川自身が掴んでいる現実観の確かさによるのであり、それが決してかりそめの選びではないことによるのだろう。

 先にも述べたが、米川の歌は決してスマートではない。言葉の斡旋や、テーマへのアプローチには、むしろ愚直なほどの慎重さで自らの物言いを遂げるための手続きが見える。それは、時には言葉を拉ぐ圧力にさえなっている面もある。しかし、米川がそうした犠牲を払っても語りおおせたい衝迫を抱えているということが、詩性そのものとなって言葉に力を与えているのである。それは、<知>として現れる、世界に対する直感であり、言葉の肉感として現れる、愛憎さえ未分化な<情>の運動である。現代という時代が酷なのは、いやおうなく浸入してくる批評に自らの直感を奪われて、こうした詩の要素を保ってゆくことがきわめて難しいからだと思う。それをも充分に視野に収めた、米川の重心低い姿勢と、物言いは、だからこそ得難いのである。

 言葉を発するということ、とりわけ詩としての言葉を紡ぐということが力を持ち得るのは、言葉や方法以前の<なにか>をどれだけ抱えているかにかかっているだろう。『一夏』は、そうした混沌とした力への信頼を呼び覚ましてくれる歌集として、私たちに差し出されているのである。