三井修論

— 岬になる人へ —

『短歌』99年

 

「アステカの王」書評

著者はいま、ふたたびバハレーンにいる。第一歌集〈砂の詩学〉で「ペルシャ湾に浮かぶ砂粒のような小さな島」と書かれた場所である。歌の出発の土地というのは、思いがけなく表現を運命づけることがあるが、三井修の場合も中東という乾燥しきった短歌にとっての異境を言葉の産土にした気配が尾を引いている。

 

 こぼれ水求めて水売りトラックを跛行の犬がひたすらに追う

 

 俯瞰して見れば砂漠も優しきか夕べ砂漠へ戻りゆく鳥

 

 これら中東での歌は「砂の詩学」以来の三井の原型だろう。常に砂漠へ戻るしかない魂、犬にも鳥にも作者の姿が、またそれを透かして現代を生きる私達の姿が重なってくる。同時にここは湾岸戦争の後を人々の生きる場所でもある。

 しかし同時に、この歌集の大半の背景となった日本でのごく普通の生活にも、何か乾いた喘ぎのような感覚は尾を引いていて、果たして安堵ふかい居場所というものがありうるのかという問いが湿潤な風景に投影されて見える。

 

 キリン舎にキリンは帰り夕暮れの泥濘に黒きキリンの足跡

 

 炎天の舗道にあまた這い出でて桃色の蚯蚓死せりやさしく

 

 たぶん砂漠なら<泥濘>は砂にかわり、<やさしく>はもっと厳しい形容詞に変わるのだろう。この大きなニュアンスの差を往還する眼差しは、同時にこれらの生き物の生死にとってそれがニュアンスでしかないことを見ている。キリンにも蜥蜴にもどこか本来的な居場所のなさを知ってしまった翳りが添う。例えば次のような歌にも。

 

 内明るき花舗見て戻りこの国の何も起こらぬ闇に身じろぐ

 

何も起こらぬ不安は何事かが起こる不安と同量であり、両方が不安定である。つまり砂漠と日本とはいま、二枚のスクリーンを重ねるように重なって砂漠も日本も異境となり両方が産土となって砂漠か日本かという問いを無効にしているのだ。

 

 岬いまわたなかに立つ春の馬その鬣とし白き水仙

 

 繭なして光れる岬我を容れ水仙を容れ春の日静か

 

 もしかしてこの世は仮象早春の風が揺り零す光を浴ぶる

 

「光の岬」一連より。この岬に立つ男はじつに柔らかである。まぶしい目をして岬そのものとなって自らを堪えている。あらゆる場所が異境になり産土になり終わりのない問いになってしまったとき、岬になった自分自身を故郷として目を閉じ海に向かって迫り出してみる。そんな風景に見えてくる。

(一九九八年十一月二十日発行、砂子屋書房刊、三千円)