野良猫街道事件簿その1

 

まさかわが身に降りかかるとは、と事件に巻き込まれた被害者は誰でも思うらしい。私もそうだった。そう、あれは三年前の真夏の夜のこと。新しい家に引っ越して一ヶ月が過ぎようとしていた。鼠の穴からウサギ小屋に引っ越した私は、食事をする部屋と寝る部屋が別、という私にしてみれば格別に豪華な生活を噛みしめていた。「寝室」とか「リビング」とか部屋に名前が付くのである。たとえその他に部屋はなかったとしても。

 ある夜、二階の「寝室」ですっかり寝入った私たち家族は怖ろしい物音で目を覚ました。階下でいま明らかに何かが壊れた音。金属同士が激しくぶつかり、重量のある物がドンと落ちた。泥棒だ。窓ガラスを割って侵入し、誤って何かを壊したのだ。まさか!どうしよう!落ち着かねば。頭が急に冴えてきてこれは危険だ、と直感する。コゾ泥で終わるはずの賊も、こんな物音をたててしまっては驚いて開き直り、強盗になるだろう。同時に飛び起きた夫が下を見てくる、と言う。だがそんな危険な真似はさせられない。事態を呑み込もうとしない夫を押しとどめ、とにかく枕元の電話から110番通報する。5分ほどで行けると言う。5分、ああ何という長い時間だろう。

 隣室の息子を起こし部屋の内側から鍵をかけるように小声で言い、私たちの寝室にも鍵をかけた。いざとなれば私が飛び出して泥棒を引き留め、その間に息子を逃がすつもりだ。私は自分の愛に胸が詰まりそうになる。ふてくされたように蒲団に潜ってしまった夫は事の重大さが分からないのだろうか。息を潜め、耳を澄ます。時計の秒針が聞こえ始める。やがて賊は二階に上がってくるのだ。その足音を聞くために私は全身を耳にした。しかし、足音は聞こえてこない。その代わりに金属が壁にぶつかる音とモーターの回転音がしている。

 そうか。奴らは降りてきそうにない私たちを無視し、不敵にも金庫をこじ開けようとしているのだ。飛び散る火花、ズック製の布袋に次々に詰め込まれる札束。見張り役の一人は階段あたりに目を配りながらトカレフを構えているに違いない。賊は仕事を終えれば二階に上がってきて無造作に私たちを死体に変えてしまうだろう。黒く広がってゆく血の海。廊下に残る荒々しい靴跡。なぜか頭だけは冴えて回転し続け、私は犯人の心理や行動がよく読めた。どこかで見た映画のようでもあった。

 やがて家の周囲にバイクの近づく音が聞こえ、続いてパトカーのサイレンが近づいてきた。入り乱れる靴音、無線連絡を交わす声。私は二階の窓を開け、ここです!と激しく手を降った。警官と警察犬とがぐるりと家を囲む。近所の住人も起きだし、あたりはもう騒然とした空気だ。奥さんドアを開けてください!と警官が叫ぶ。ためらっていると夫が階段を駆け下りて玄関を開けた。警官と犬がなだれ込んでくる。どこですか、と拳銃を構えた警官が私に詰め寄る。私が指さした台所のあたりにすべての緊張が注がれた。電灯のスイッチを入れる。そして私たちは見たのだ。床一面にすさまじく散乱する鍋やボウルやどんぶりを。・・・・ただし、それだけだった。

 何というか、警官と犬たちは私がいいかげんに吊っておいた棚が落ちたために呼び出されたのだった。全員が顔を見合わせ、今が夜中の三時で、みんな気持ちよく寝ているはずの時間だということを急に思い出す。静寂の中で、棚の直撃を受けて壊れ、スイッチが入ってしまったミキサーだけがうなり声をあげて転げ回っていた。トカレフも強盗も消えていた。もちろん金庫と札束も。警官は役立たずの拳銃を収めると、この件は工務店に電話してくれと力無く言う。私は今日に限ってウチを避けた強盗をつくづく恨みながら突っ立っていた。・・・ばかやろう。