楽器テロリズム

 

私はピアノが弾けない。右手と左手とペダルを踏む足とが意思の統一をはかる前に燃えつきてしまった。白黒の鍵盤が歯をむき出して私を嘲笑したその日、私はきっぱりとピアノと別れた。以来ピアノは私の負い目となって黒光りしている。

 小学三年生のクリスマスの夜、それは突然運ばれてきた。母が虎の子をはたき、せめて子供には楽器が弾けるようになって欲しいという切実な夢を塗り込めたピアノ。私は歓声をあげて飛びついたが、次の瞬間打ちのめされた。これを弾けるようにならねばならぬのだ。私の顔を映す漆黒のアップライトピアノは、怖ろしい威圧感でそびえ立っていた。ピアノによるテロである。

 テロはテロを生む。あるとき通信販売のカタログを眺めていた私に魔が差した。カラフルな誌面にしっとりと佇む琥珀色のチェロに魅了されてしまったのである。初心者用超廉価、奏法ビデオ付き、と書かれているのも良かった。夫はクラシックファンであり、室内楽を「聴く」のが好きである。聴く、と弾く、との間には一字の違いしかない。これを夫に弾かせようと決めた。

 どこにでもある日曜日、それは届いた。無伴奏チェロの流れるマイホーム、の夢を塗り込めたチェロ。夫は歓喜したが次の瞬間硬直した。これを自分が弾くのか・・・。怖ろしい義務感に責められた夫はせっせと弓に松ヤニを塗りつけ、弦を調律した。一週間がかりでようやく音が出るようになった。勢いよく弓を引いた。その瞬間、悲鳴をあげたのはチェロだったか夫だったか。ともあれ夫はそれから二度とこの怖ろしい楽器に手を触れなくなった。以来チェロは巨大なゴキブリと化して屋根裏に潜んでいる。

 そして報復の連鎖は続く。息子の十八の誕生日。何を思ったか夫が息子にギターを買ってきた。息子は音楽三重苦である。楽譜が読めない、リズムが取れない、興味がない。安物だったがともあれギターの形をした代物を贈られた息子は、一瞬その意外さを喜んだ。しかしそのとき彼の心中でギターはラケットと化し、空高く球を打ち返したにちがいない。使い勝手の悪いラケットはたちまち飽きられ、禁固刑を食らっておとなしく埃を被っている。

 かくして積み上げられた楽器は嘆きの壁と化し、触れてはならない話題は増えてゆく。こころもち楽器が小型化しているのが吉兆である。