秘境探検

 

年末に秘境を探検した。つまり冷蔵庫掃除をしたのである。最近エコツアーとかでボルネオのジャングルやアフリカのサバンナや南太平洋の無人島に誰でも連れて行くツアーがあるが、まあたいていの場合秘境はもっと身近にある。人生の奥義である。扉を開けると、中は昼なお暗いジャングル。冷気はしんしんと満ち、長い間人の手を拒んできた世界が広がる。死にきれず、また生きることも許されぬ元動物、元植物たち。あるものは透明タッパーに入ったまま色鮮やかな黴に覆われ、またあるものは裸形のままミイラ化している。

 例えばキャベツ。あの単純で明朗なだけの野菜は黄色く紅葉し、はらはらと落葉する。少なくとも一ヶ月以上このジャングルに放置された元キャベツは、野菜であることをはかなむことを覚え、あるときから日本的抒情に参加することにした。緑色が抜け、白っぽくなった葉はやがて淡い黄色みを帯び、ついに落葉を始める。太い芯を持って逆さにすると諦めたように落葉し、遅まきながら気づいた世の無常をしみじみと訴える。長い間元気な野菜をやってきてもうつくづく飽きたのだ。キャベツだって飽きる。いと哀し、である。

 そして人参。こいつは不思議な進化をする。ゴボウになるのである。人参がゴボウになる。科の違いを飛び越えうる進化を助けるのがこの冷蔵庫だ。明るい夕焼け色は、闇色に変色し、根性の干物と化したその姿は育ち損ねたゴボウそのものである。かちかちになっているため折ることも曲げることも出来ない。しかし水につけておくと次第に膨らみ、ところどころに人参らしい痕跡があらわれるので元人参だとわかる。将来、長い宇宙旅行をする際、宇宙船に乾燥野菜を積み込むなら、宇宙飛行士達は人参の生前の姿をしっかり記憶しておくべきだ。地球の根菜はゴボウみたいな不機嫌な奴ばっかりじゃない。人参みたいに陽気な奴もいたんだぞ。

 驚くべきはゆで卵である。ゆで卵が茹でられた日の記憶を失って数ヶ月経つとどうなるか。なんとプラスチックをはるかに超える未来のプラスチックとなるのである。白身は半透明となり、叩くとコツコツと澄んだ音がする。投げつけようが叩こうがびくともしない。このまま地球最後の日まで居残ることだってできる。いつの日か人類の次に地球に現れた知的生物がこの強化卵を手にし、DNAを取り出してこの物体の再生を試みたとする。最初は新型爆弾かとも思われた強化プラスチックから、二本の足をもち白い羽に覆われた生き物が再生された時のポスト人類達の歓びはどれほどのものであろう。歓喜は世界を覆い、強化ニワトリの初めての鳴き声はポスト人類達の希望の証となって、全世界共通の時報となるのである。コケコッコー。

 そして整理し終わりがらんとした庫内に冷気が行き渡る。これで地球上から秘境がまたひとつ失われたのだ。冷蔵庫の青い光に照らされて私は亡霊みたいにほっとする。幼い息子を育てていた頃、とにかく少しも休ませてくれない幼子を相手にする毎日は二十四時間勤務かともおもわれた。わずかのあいだ目を離したすきに煙草を食べた、化粧水を飲んだ、と毎月のように救急病院に駆け込む。椅子から落ち、階段から転がり、焼き肉の代わりに小さな手を焼いてくれたこともあった。切実に独りになれる時間が欲しかった。冷蔵庫を開けるたびに私は思った。お願い冷蔵庫よ、五分間だけ私を入れて、と。

 願いというのは意外と叶うものらしい。その時の私は今なおこの冷蔵庫に住みついていて、長い長い独りの時間にもうとっくに飽きている。そして耳をそばだてて待っているのだ。「ママあ、どこ行ったのー?」という幼い息子の声を。