ドーム球場の世代

世代からの発言 (1)

 

 近年、相次いで登場した二十代から三十代にかけての若手達、方法も問題意識もそれぞれに大きく異なるこの世代の新人達にとって、今何が問題であり、どのような地点で歌との格闘がされているのかを考えてみたいと思う。昨今問題にされてきた表現の軽さや重さの差、自己の位置づけの差異など、さまざまなレベルでの個々の立脚点の違いはありながら、この世代にとって問題点となっているところは意外に共通し、顕在化しつつあるのではないかという印象がある。どのような方向から表現を志しても一度はぶつからざるを得ない問いとして、横たわっているものを手探りつつ眺めてみよう。


  わざはひを蒔きてその実を刈り取るがごとき日常の殺伐にをり

中山  明 

  剥がされしマフィア映画のポスターの画鋲の星座けふも動かぬ

荻原 裕幸 


 中山と荻原のこの歌におけるそれぞれのテーマは非常に近いところにあるといえるだろう。マフィア映画のポスターという哀れなほど使い古された〈毒〉のある一枚も消え去り、星座のような画鋲の列となって都会の壁に貼りついている。それはまるで、小さな小さな〈わざはひ〉として蒔かれ、あっけなく〈刈り取〉られてゆく都会の索漠とした日常なのだ。そして、そのような日常は、きりもなくくり返され続いてゆくだろう。そうした思いを中山は素直に語り、荻原は風景の中に瞬間に見取っている。〈わざはひ〉を蒔くことが辛いのではない。自らが〈わざはひ〉そのものとなり、悪意をもって世に屹立できるならば光栄というものであろう。哀しいのは、蒔いた〈わざはひ〉の種をそそくさと自らの手で刈り取らねばならぬことなのだ。〈わざはひ〉は悪意に限らない。現代に対する一つの問と考えていいだろう。その問の打ち立て難さをこれらの歌は訴えているのだと言えるのではなかろうか。


  ぼろぼろに酔ひたる父が額(ぬか)つけし電車の床は昭和越えけり   

坂井 修一 

  たぶんゆめのレプリカだから水滴のいっぱいついた刺草(いらくさ)を抱く

加藤 治郎 


 昭和とは何だったのだろうという問がある、この問いを抱えようとするとき、この世代は、〈父〉という容器越しにしか昭和を呼べない。あるいはこの坂井の一首が父とは何なのかに重心を置いて問うているとしても、この〈ぼろぼろに酔ひたる父〉は、実景であるよりは、作者の昭和批評と重なって、極めて抽象性の高い父親像となっているだろう。昭和を問うにせよ、父を問うにせよそれぞれが、それぞれを通じてしか問としての姿を現わさない仕組みになっている。加藤の場合、そうした問を成立させることの困難をむしろ自明のこととして作歌してゆく傾向にあるといえるのではないだろうか。〈水滴のいっぱいついた刺草(いらくさ)〉を抱きしめる、本来ならばみずみずしいはずの痛みは、すでに上の句で〈ゆめのレプリカ〉として二重三重のフィルターの向うにあることを提示されている。
 このような、空を掻くようなもどかしさ、問いのたて難さは、女流にもかしこに表われていると言えるだろう。


  「ニンシンハ三回モシタ」きみの瞳をおととしの雪をみるように見る

早坂  類 

  生も死も微差なるもののまなさきに海がしづかに固まるおもひ

源  陽子 

 

 早坂の〈ニンシンハ三回モシタ〉と告げる少女の荒涼とした瞳は印象的である。しかし、さらに印象ぶかいのは、その少女の悲しみを、〈おととしの雪をみるように見る〉という作者の視線なのではなかろうか。少女の身には背負うに余るような〈わざはひ〉を蒔いて刈り取る作業の苦しみ、それを手をさしのべる術もないままはるかな遠景へと退けるしかない作者の思いの屈折は、単に〈風俗〉や〈現代の悲しみ〉の名を附して安心されてしまうべきものではないだろう。源の、生も死も、●と屹立させえない、棒立ちの喪失感、それらが、〈海がしづかに固まるおもひ〉へと回収されてゆく切ない回路は何ゆえなのだろう。しかも、そうした決して浅くない悲しみが、不思議に穏やかな、ほの明るい調和へと導かれてゆく過程は、これらの歌に限らず、また女流にかぎらずかなり多くの尖鋭的な部分で見ることができるように思う。
 そうした調和への回路をかなり典型的にもっているのが次の一首であろう。


  かぎるへば滝つ瀬やさしみづからを滝と知りつつ砕かれてゆく

水原紫苑

 

 下の句のそれだけ読めば悲壮とも言える言挙げが、〈やさし〉でくくられ茫洋としたほの明るい風景へと仕上げられている。不思議なくらい穏やかで自閉的である。水原は自らこうした調和を志向し、その調和に持ち込むことによって、〈事柄〉をさまざまな体系から外すことに力を注いでいるように見える。そうした作業のうちに新しくあらわれる現代への視野や、情緒といったものもあるだろう。
 しかし、問を打ち立てる困難さが、ほの明るい調和の世界へとあっけなく流れ込んでゆくとしたら、それは一方ではとても危ないことなのではないだろうか。自らが〈わざはひ〉として痛みをもって蒔いた種を、早々に自らの手で刈り取らねばならないとしたら、それはとても理不尽なことなのだ。
 問うことの難しさ、そのこと自体がこの世代のテーマであると言えるだろう。問い自体を無力化する力、それはさながらドーム球場のようにほんのりと明るく私たちを覆っている。現代を描き、そこに自己の生を見るために、この世代の作者たちが一度は見なければならないのがこの淋しく明るい天蓋であり、調和への回路なのだ。調和へと急ぐのが単に表現の未熟のみではない地点にすでに幾人もの人々が立っている。さまざまな悲しみを抱え、問いを携えながら尚、それらを打ち立て難いとしたら、この天蓋の正体を、私たちを穏やかな調和へと導くものの何であるかを問うほかないだろう。無骨に剛直に問いをつみ重ねてゆくのか、あるいは穏やかに見える一首の中に哀しみをにじませ、それ自体を問として提出してゆくのかさらに別な方向を模索するのか、問う者と問われる者の明瞭な区別のない時代の中で、難しい道をそれぞれが歩むほかないのだろう。