誰そ我?

— 〈私〉の位置とその質をめぐって —

 

 荷車に春のたまねぎ弾みつつ アメリカを見たいって感じの目だね

 ひとしきりノルウエーの樹の香りあれベッドに足を垂れて ぼくたち

 バック・シートに眠ってていい 市街路を海賊船のように走るさ

 加藤治郎の『サニー・サイドアップ』は刺激的な歌集である。一冊の中の歌を作った人物が、何という国のどのような私生活を負った人物なのか、ほぼ不明である点も面白いが、加藤がこれらの歌をつくるとき、いかに嘘らしく嘘をつくかに賭けている意気込みがまばゆいばかりなのである。〈市街路を海賊船のように走るさ〉と歌い、〈ベッドに足を垂れて ぼくたち〉と歌われた〈ぼくたち〉はたぶんこの歌の中にしか棲まない。奔放な美しい現代のカタカナ言葉の流れのうちに、そこにしかありようのない一人称の世界を創り出しながら、作者たる加藤の私生活の苦悩やさまざまな感慨ははるかに異なったレベルにそのまま、そっと置かれているのであろう。
 この加藤と対称的な位置にあるのは坂井修一の歌である。

 くちびるを触れあはず言ふ鶴の愛自浄のごとし自縛のごとし

 分身のごとき憎しみ出づるまで背中あはせに春はふかみぬ

 これらの恋のかそかな悩み事と、そこに歌われている男女のありようが、自らの苦悩の告白の形をとりながら、しかし、恋の普遍、古来歌いつがれてきた男と女の愛の主題への挑戦であることはまぎれもない。坂井の場合、恋の歌に限らず『ラビュリントスの日々』の一冊を通底している主題、あるいは喜びや苦悩は、半ばは全く個人的な、坂井の私生活に深くかかわるものであり、そしてまた、半ばは現代の若者の、或はもっと広く、今を生きようとする人間の普遍の問題となっている。
 むろん、歌われた歌の内に立ち現われてくる〈私〉、或は一人称といったものは、私生活の日常レベルの私とは多かれ少なかれ位層の異なるものであり、表現するということは、どのような表現であれそうした生身の私からの飛躍であることは言うまでもないことである。そして私がここで語ろうとしているのは、加藤の歌に肉声が乏しく、坂井の歌にそれが反映しているといった問題にとどまるものではない。
 前衛以降、生身の私のうちに、さまざまな角度からの普遍化を経た〈私〉の流れ込みは意識化され、言葉を発しようとする私達がその〈私〉から全く自由であることは難しい。現在、歌を歌おうとする作者たちはどこかでそのような普遍の〈私〉との折り合いをつけながら言葉を詩として定着させる作業を行なっているのであり、加藤の詩が刺激的であるとすれば、そうした〈私〉から、歌に現われる一人称を限りなく自由にしてやった、その成果によるのだと言っていい。加藤もその事には自覚的であり、歌集中に次のような村上春樹の文章を引いている。
 「あそこに君の心がある」と僕は言った。君の心だけが浮き出してあそこに光っている。……
 〈ここ〉にあるのではなく、〈あそこ〉にある心とは現代人の何と悲しい告白であろう。もしかすると、私達はいかにも自らを描き、追求しているように見えながら、実は自らの確かな胸の内を失いつつあるのではないのか。〈あそこ〉になら別の一人称を創れるのではないか。そのような先鋭的な意識のもとに、〈私〉を〈あそこ〉に飛躍させ、思い切った位置を与えることによって、加藤は新しい言葉を自らのものにしたと言えるであろう。『サニー・サイド・アップ』の〈私〉には国籍がない。私生活がない。告白がない。或る意味では無私の〈私〉なのであり、現代という時代と文化、読者との同時代性を一本の命綱として紡がれる詩なのだ。〈ぼくたち〉は生身の加藤にとっても、読者である私達にとっても〈あそこ〉にいる無名の人物たちなのであり、いかにも手が届きそうでありながら、実ははるかな場所にいることによってのみ、自由な美しい言葉の内に生きられる、かそかにもの悲しい恋人たちなのである。
 前衛以降の歌の歴史は、〈私〉探しの歴史なのだと言ってもいい側面を持つ。篠弘が、〈前衛短歌の方法を、ここで一口で言うことはできないが、すべてが「私」の拡大に関わっていた。これまでの近代短歌ではうたいきれなかった世界が扱われてくる。現代人の共通認識や観念的な思想のようなものも、作品の内部にもち込まれてくる。〉とまとめたように、もち込まれた〈現代人の共通認識や観念的な思想のようなもの〉と生身の私とがどう関わるのか、その衝突が詩のエネルギーとなってきたところがある。加藤は、その衝突を詩のよりどころにしないところから出発したのだと言うこともできるであろう。だが、〈あそこ〉である手前、〈ここ〉に私たちを尚つなぎとめる何かがある。その何かのうちにこれまでの短歌が展開してきたものを見、それによって今後の可能性を考えたい。
 例えば次のようなエピソードがある。

 いちまいのガーゼのごとき風たちてつつまれやすし傷待つ胸は

 小池ははじめこの歌の〈待つ〉を〈持つ〉としていたらしい。それを幾度かの推稿ののち〈待つ〉として決定稿とした。おそらくこの歌は、〈待つ〉としたことによって大きく飛躍したと言えるだろう。傷を持つ青年というのは、青春のテーマとしてはどこか月並みで〈現代人の共通認識〉と同じレベルのうちにあり、そのままでは小池の歌のもつ独自性は、上の句のすぐれた感覚的表現に限られる。ところが、傷を待つ青年というのは、繊細に見えながらしたたかなのであり、その青年像は、どこか混沌としたものを読者に残しながらいつまでも気にかかる。これによって小池は従来の青年像のうえに新たな貴重な何かをつけ加え、先行世代へのしなやかなアンチテーゼとした。
 このような衝突をより自分の内部の声、肉声や、情念に引きつけたところで見取り自らの歌のよりどころとしてきた歌人に伊藤一彦がある。

 A 岩群のなかにあそべる妻よ子よこの世の外(ほか)もうからとならむ

 B 東京にいかに居るらむ不死鳥(フエニツクス)の冬ふかくする花を見に来よ

 伊藤は、故郷への定住のうちに血縁や因習の重たさを見てとり、自我とそれらとの相克をテーマの一つとしてきた。故郷の血や家の重たさに輪廻を想わせるような思いを重ねながら、Aの歌では〈この世の外(ほか)もうからとならむ〉と声をかける。故郷とは死にどころであり、生も死も渾然一体となった暗い抱擁の力ではなかったか。そのようなテーマが、Bの歌では〈不死鳥(フエニツクス)〉という言葉に集約されるわけだが、ここでは伊藤のとり組んできたテーマの一つが明快な言葉に置き換えられ、歌としてのひろがりはAの歌に及ばない。〈この世の外(ほか)もうからとならむ〉と家族に掛ける声は伊藤のふいの情から発したものであるにせよ、それが発語された瞬間にその声のどろどろとした響きと力に作者自身がおびえずにはいられなかったであろう。ここには明文化のかなわぬ人の心と言葉の呼び起こす恐ろしいほどの力が表わされているのである。
 〈現代人の共通認識〉や〈観念〉、さらに個々の作者によって、追求されてきた主題に言葉がぴったりと重なってしまうとき、歌はその力を発揮できない。それは〈私〉探しに対する或る意味での性急な回答なのだとも言えるだろう。よりすぐれた歌というものは、そうした公に了解されうる普遍性からのはみ出し、ズレ、踏み込みといったものを兼ね備え、そこには言葉の操作にとどまらぬ個人の内奥の声や状況が反映されている。普遍性をつき動かす力として〈私〉のありかは、〈あそこ〉ではない〈ここ〉に、混沌としたまま、しかし確かにあるのではなかろうか。
 しかし、より若い世代を中心とした新人層に目を移すとき、こうした観念やテーマの抱え方は少し異なった様を帯びてくる。
 例えば先に引いた坂井も、これまで述べてきたような、自我と普遍性などとの衝突を多く詩のよりどころとしてきた一人であるが、それのみでは語れない部分を持つ。

 おほいなる無価値こそ人を病ましむやオホーツクオホーツクわれは地をゆく

 現代の文明に爪先まで染まった人間が大自然の〈おほいなる無価値〉に出逢ったときの衝撃を、人を病ませるようだと歌う。文明が人を病ませた時代から、大自然の茫漠とした在りようが文明人たる自らを病ませる時代へ、この自覚は新しいが、やはり従来の自然理解の文脈の文脈によるゆさぶりであり、この一首の力はより多く〈オホーツクオホーツク〉という歌謡性にあると言えるだろう。作者はこの音韻からありありと開けてくる北の海の広がりを読者に伝えたかったのに違いない。作者の詩の動機はこの言葉の響きの意味以前の魅力に発しているであろう。
 認識や観念との衝突から、意味以前の言葉の美しさへのかそかな体重の移動、これは個々の作者のうちではしばしば起こることであるが、新人層を眺めるときそれが、決して偶然的にではなく、或る特徴として浮かびあがってくるように想う。

 名を呼ばれしもののごとくにやはらかく朴の大樹も星も動きぬ

米川千嘉子 

 吾(あ)をなしし性の労働こそあはれかそけく香る土星のリング

山田富士郎 


 米川の歌には、恋人への心のおもむきといったテーマが透けてくるのであるが、主題はこの歌のはるか後方に退いて在る。むしろここに見えるのは、感覚的な風景の把握であり、作者のまなざしの息づきである。不定形な心をつかまえようとする一瞬、テーマよりも、自らの心の現出した新しい風景に目をうばわれているのだと言ってもいい。山田の歌では性の主題に両親を巻き込みつつかそかな哀切と滑稽が語られる。この歌は、〈性の労働〉といった言葉の面白味や、〈かそけく香る土星のリング〉のイメージによる飛躍によって、より新しい歌となっている。作者は主題を抱え、そこにぶつかりながらも、より多くこれらの言葉の持つ面白味の方に引かれている。
 歌が言葉の魅力のうえに発し、主題や観念もそこに強く結びついているのは言うまでもないことである。だが、普遍性や観念、主題などという、自らの内に流れ込んだものと、自我との衝突をより多くの詩の場としていると思われる新人層が、しばしば、激しい衝突や相克よりも、言葉の方へふわりと体重を移すことを興味深く思う。〈ここ〉に自らの位置を定めながらも、〈ここ〉が一体どこなのか、衝突するべき主題や普遍性が、それ以前の世代のようには確固と自らに追ってこない。それは〈私〉が見えないといういらだちとしてではなく、むしろ見えないことをすでに暗黙の了解として出発した新人達のふわりとした立ち姿となって表われているように思う。
 それでも尚、これらの新人達に代表されるような若手たちが、〈ここ〉にとどまることにこだわるとすれば、それは、自らの内奥から発する声によるのであろうと思う。あるときは〈哀れ〉という実感であり、あるときは恋人に名を呼ばれたような錯覚であり、またあるときは、意味以前の言葉にひっそりと重なってゆく自らの心のふるえでもありうる。一見、優しく感覚的であるような、それらの声は、生きて動いている自我の深奥にふかぶかと錨を下ろしているのであり、それゆえ〈私〉は〈ここ〉にとどまり続けることを願うのである。それをも肉声と呼ぶのならば、現代の肉声は、告白するべき確固とした自我を疑いながらも、生きて動くゆえに出逢う偶然といったものをとり込みながら尚いきいきとした力をもって在る。
 こうした声と、言葉との深い結びつきは近代にもその源を見ることができる。

 春の鳥な鳴きそ鳴きそあかあかと外(と)の面(も)の草に日の入る夕(ゆふべ)

北原 白秋 

 かなしみに●へ新たにはぢけちるわれはキャベツの球(たま)ならなくに

 馬場あき子によって、〈述べざるためのかくれみの〉と語られ、〈理想としての韻律〉と名付けられた白秋の言葉への愛着が、今、あらためて短歌という詩型に深く根を張るものであったことを思う。白秋はまた自らの声を敏感に言葉に息づかせることにすぐれた人でもあった。
 〈私〉探しに性急に答えは出すまい。言葉や声や普遍性や、私にとって等距離にあるそれらに耳を澄ましながら、今しばらく〈ここ〉に立っていようと思う。詩とはたぶん、〈誰そ我?〉という問いそのもののことであることを思いながら。