日替りエッセイ

短歌に限らず森羅万象、おりに触れての物思いを書いていきたいと思います。

メールで掲載の許可を頂けたものはここに載せていきたいと思いますのでどうぞよろしくお願い致します。

 

もくじ

クリスマスのレシピ。 / くたばれ「純愛」! / 竹槍きらり。 / お留守番 / 肉感的な、あまりに肉感的な・・・。 / う〜さぶ。 / ぴんぴんころり、というファシズム / つーるつるの恐怖

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クリスマスのレシピ。

2007/12/25

メリークリスマス。23日と26日なら逢えるという「友達」を持つ息子と、去年と同じ夫。100円均一の愛でもいいから欲しい三人で食事をしたイブでした。皆様いかがお過ごしですか?

●さて、このシーズンになると思い出すクリスマスの食事。アメリカの友人の家でご馳走されたターキーは、ブタの丸焼きかと思うほど大きかった。淡泊な胸肉の薄切りにクランベリーのジャムを載せて食べるのが美味。肉にジャムというのはとても合います。お試し下さい。豚肉にマーマレード。鶏肉にブルーベリーのジャム。ほんとです。

●で、ここ十数年恒例になっていたのが、ターキーの代わのローストチキン。これはまあ普通ですが、鳥のお腹に何を詰めるかが問題。ウチでは、パンの粉々にしたのに、松の実、栗、パセリ、生牡蠣、クレージーソルトを混ぜたのを詰め込んで焼いてました。鳥のジュースが滲みて、中の詰め物の方が美味しいくらいになります。牡蠣を入れるのは、サンフランシスコ式というらしいです。

●んで、必ず作るのが、クリスマスプディング。これは何種類かのドライフルーツと黒蜜などを合わせて蒸し焼きにするイギリスの古いお菓子。ドライフルーツは、一年ほど前からブランデーにつけ込んでおきますし、蒸し焼きにするのに5時間はかかるという凄まじいスローフード。試みに一度作ったらこれが恒例になり、毎年作るハメになりました。

●これらのレシピは集めている古いレシピ帳から。いろんな国から移民としてアメリカに来ていた友人達から貰ったものもあって、このシーズンになるといろんな人達の顔が浮かびます。元気でいるでしょうか。もう一度、心から、メリークリスマス。


くたばれ「純愛」!

2007/12/1

風邪気味が抜けなくてぞくぞくする・・。こういうときは元気を無理矢理出すのがいいかも。

●昨日とある大学で学生さん達を前に馬鹿みたいなアジテーションやってしまいました。反省しましたが、同時に、言い足りないということもあって、それで元気を出そうと思いつきました。
●最近の本屋に積まれている「純愛」小説・・・。どれもそれを買うくらい素直な方には泣けるんだそうですが、買わないくらいひねくれた者には泣けません(あたりまえか)。でもその中間くらいの私は本屋でときどきぱらぱらと立ち読みをして、がっくりします。あたしは計算はできないけど、文字はなんとか読めるもんで。
●一山580円から980円くらいの「愛」の大安売りはなんか寂しいなあ。いや、そんな値段でさえないかも。どれでも全部100円均一の「純愛」の山。あんなのが売れる時代、背景に広がっているのは、荒涼とした人間性の不毛地帯でしょうか。
●昨日帰ってきたのは夜中の12時近く。でも電車もバスも超満員で、共働きの人達はそれから食事を作るのだそう。子供作る時間なんてあるわけない。毎日電車は誰かを轢いて、もうそれにもすっかり馴れて。家族の間も荒涼としているから犬とか猫にコート着せてお散歩する現代人。いつ世界恐慌がきてもおかしくない状況のなかで、「将来」のことを考えなければならない若い人達。
●まるでマッチ売りの少女が、凍える指でマッチを擦っては束の間の夢を楽しむような「純愛」小説ブーム。あんなもん読んでたらあんた凍死するよ、と私は言いたい。

う〜よけいさぶくなってきた。鼻水止まらんし。


竹槍きらり。

2007/11/23

九州から帰ってまたスイッチオン。

●今年は寒くなりそうで、母の家の冬支度をあれこれしてきました。年を取るということ、これは大変なことだとあらためて痛感。まず、カセット式のタンクを備えた石油ストーブは一切使えません。なぜなら、あの重いタンクに石油を満たして運ぶことが出来ないからです。
●そこで、全てを電気にしたわけですが、これがまた大変。まず電気工事からやり直さなければ大容量の暖房器具は置けません。それに古い家は隙間だらけ。電気式の暖房器具はどれも鉄筋の部屋なら効くんですが、というものばかり。
●あっちこっち隙間を睨みながらホームセンターで何かいい物はないかと捜していると、いろいろありますねえ。隙間ふさぎのスポンジ付きテープの屋外用、室内用。押し入れに敷く断熱シート。ガラス窓からの冷気を防ぐプラスチックパネル。ガラス窓に貼り付ける保温シール、などなど・・・・・。
●山のように買ってきてあちこち貼り付け、押し入れの大掃除をし、戸の立て付けを直し・・・。あれこれやりながら思う日本の家のはかなさ。細い柱と、薄い壁。このはかない家を寒さから守るための、おもちゃのような小道具さまざま。テープで貼り付けるだけの小さなアイデアグッズがまた寂しい。
●母の生活と私の生活を共に成り立たせていくためには、今のところ、こんな遠距離介護を続けることくらいしかできません。大きな不安に備えるための小さすぎるアイデア小物はほんとに悲しい。昔、グラマン戦闘機に対抗するための竹槍というのがあったそうですが。


お留守番

2007/11/15

今日から一週間ほど九州の母のところです。やらねばならぬあれこれ。

●遠距離介護、ですが、でも私の中のスイッチを切り替えるのにも役だっているかも。均質化されたと言われる日本ですが、そうでもなくて、まだまだ場所によっていろんな時間が流れています。特にこの季節の田舎の落ち着いた寂しい風景のなかにいると落ち着きます。
●母の周囲の人々、昔から顔見知りの人達もずいぶん居なくなってしまいました。暮らしやすい都市部へ引っ越したり、子ども達の棲む近くへ行ったり。
●竹楽という灯籠を町中に点すお祭りがあります。町中に竹に点した灯籠が置かれるのですが、点される灯籠の灯は居なくなってしまった人達の数に見えます。

というわけでお留守番よろしくね。


肉感的な、あまりに肉感的な・・・。

2007/10/29

昨日あたりからパソコンの前に座るとなんか気持ち悪くなる。こりゃ心労か、過労か、と自分を哀れに思い始めた矢先、気がつきました。原因に。

●パソコンの画面の壁紙を秋だし、秋色に、と思って旅先で撮ってきた写真の中からテキトーに貼り付けたのが三日前。今日よーく壁紙を見たら大きな肉屋の店頭写真でした。
●おとなしく並んだハトさん、ウズラさん、ニワトリさん、ウサギさん、カモさん・・・・。みいんな皮を剥かれて丸裸。ウズラさんのぷりぷりしたお尻がずらーっと積み上げられた横に、これまた皮を剥がれてきれいな桜色のウサギさん・・・。カモさんなんて首がついたまま哀しそうに目を閉じておられる。
●ウサギさんの観念しきった丸裸のお尻あたりをクリックしてメール読んだり書いたりしていたわけで、クリックするたびにウサギさんの筋肉がピクッと痙攣するような感じ。
●壁紙を青空に替えたらすーっと気分よくなりぬ。残念なことにぜんぜん心労でも過労でもなく、今日はブタさんの腿のお肉を美味しく頂きました。みなさん、壁紙選びには気をつけられたし。


う〜さぶ。

2007/10/27

今日は朝から雨。先日仙台に仕事で行ってきましたが、前日までは紅葉していなかった欅が一夜にして黄金色になり散っていきました。このもかのも、かのもこのもに光りつつ・・。

●さあて、また作ってしまった仕事の山。どう片づけるべきか・・・。午前中一本、午後一本原稿を書きあげる生活を一週間続ければちゃんちゃんと片づく計算。今朝、家族にそういう計画だと話したら、誰も返事をしませんでした。そういうのは「計画」とは呼ばないそうです。
●もう二十年以上こんな生活をしてきたわけですが、どうしてもこの「計画」を修正する事が出来ない。この原稿はあと一時間で書き終えられるから、それから映画に行って、帰ってきて手紙を三通書く。例えばこんな一日の美しい計画は、一時間で書き終えるはずがふとしたはずみにどんどん延びて、映画は駄目になり、手紙もどこかへ消える、というリアリズムになぎ倒されます。
●落ち込んだり、頭下げたり、泣きついたり、愁嘆場を演じて何とかあちこちに始末を付け、気がつくと今月は顔の向いた方から怒られ、頭の向いた方に頭を下げる、という生活。これって・・・・。どっかで軌道修正しなければ、と思いつつどーしてもできない。
●今日も午前中一本原稿を書く、はずですが、現実問題として午前中はあと16分。さあてどうする?


ぴんぴんころり、というファシズム

2007/10/19

私の故郷は大分県竹田市ですが、そこで起こっていることをちょっと。

●住み慣れたところで老い、できればそこで死にたいという当たり前の願いがはるかに手の届かないものになっています。
●母が住む竹田市では、入院施設のある病院が閉鎖となり、小さな医院だけが残っています。医院には廊下にまで入院患者が溢れ、対応に追われていますが、少し離れたすこし大きな街でもまた病院が閉鎖され、とうとう駆けつけることの出来る病院はなくなりました。
●加えて、介護費用の見直しで、現在受けている介護の体制が大幅に見直され、母の知り合いの95歳を過ぎたおばあちゃんが介護施設から自宅に戻されることになりました。買い物も掃除もままならないおばあちゃんがどうやって暮らすのかは未知です。
●また、母も現在受けている支援を断ち切られる可能性が強く、今後、買い物や風呂掃除など母のできない家事をどうするのか、早急に考えなくてはいけなくなっています。
●竹田市では、四色刷の豪華なカレンダーが毎年つくられ、全市民に配られていますが、そこには寝たきりにならないための体操の歌が書かれています。いわゆるぴんぴんころり体操です。介護を受けることは悪。びんびんころりと死なねばならない、という思想の普及のためでしょう。これははっきりとしたファシズムです。
●加えて、たった一つ母が頼みに思っている医院も、「道路」が出来るために移転の可能性があります。竹田市の道路はもはや狸や狐しか通らないというのに。

いま、地方ではどこでも同じようなことが起こっているのではないのでしょうか?地方はもう住める場所ではなくなりつつある、ということでしょうか?


つーるつるの恐怖

2007/10/4

今日は最悪の一日。私の所属する雑誌の出版記念会に出かけようとしたときのことです。

●最初の災難はトイレ。駅のトイレに入ってちょっとぐらぐらするなとは思いつつ力任せにドアを閉めました。次の瞬間・・・・・ドアのノブがぽろっと抜けてドアはただのまっさらな板に。ドアはノブがなければどこにも手がかりのないつーるつるの板。バターを塗ったガラス瓶に落ち込んだゴキブリ。
●わずかにノブのあったところに開いている穴があったので鉛筆を差し込んできこきこ引こうとしてみたけど何ともならない。押せばどうにかなるかと思い体当たりしても無駄。ああ、遅刻する・・・・と焦りつつしかし大声は出せないのが最後の矜持。ええい、恥も外聞も捨ててしまえ!と覚悟した瞬間、変な様子に気づいた人に助けられました。
●さらに追い打ちをかけるように襲いかかる災難。その2。駅のATM。いつものようにお金をおろす滑らかなボタン操作。でしたが、最後の最後、カードも通帳も受け取り、現金を受け取ろうとした瞬間。「おそれいりますがただいまお取り扱いができません」の表示と共にATMは死んでしまいました。
●えーっ!「おそれいります」だとお!私のお金は!!どこにどこに消えたの?通帳にはすでに引き下ろした額も記入され、残高も記入されているのに!備え付けのインターホンに向かって叫び続けること10分。コンピュータの中では引き出されていない処理がされているとのこと。しかしそれをどうやって誰が証明してくれるの?!
●明日になって銀行に行ってみないとわからないけど、コンピュータの中は真っ暗闇のつーるつる。社会保険庁と同じつーるつる。現金を受け取っていないという証明をしろと言われても私にはできません!
●おかげでパーティーには遅刻。ものすごくばつの悪い思いをし、この頃の失敗続きを挽回しようという意気込みもあえなく消え・・・・。恥の上塗りをかなり厚めにする一日となったのでした。

ああ、柔らかい毛布にくるまってもう一生毛布から出たくない・・・・。