短歌に限らず森羅万象、おりに触れての物思いを書いていきたいと思います。
メールで掲載の許可を頂けたものはここに載せていきたいと思いますのでどうぞよろしくお願い致します。
永田町の風船 / 竹田市のこと / 青空 / アンディー・ウォーホルと塚本邦雄 / 二冊の本
2013年 / 2012年 / 2011年 / 2010年 / 2009年 / 2008年 / 2007年
2012/7/25
先日、例の金曜日の官邸前抗議集会に参加しました。
ほとんど偶然ということになりますが、国会図書館での調べ物を終わって出たところ、遠くから「再稼働反対」の声が聞こえてきたからです。もうすぐ暮れるという永田町のビルの間に、日頃は見ないような人並みが流れていて、私も警察に指示されながらずいぶん遠回りをして集会の最後尾に就くことになりました。あとで例の鳩ちゃんも参加していたことを知ってがっかりしたのも事実ですが。あと、集会はすぐそこなのに、大きな迂回を指示されたのは人を減らすため?それでもすごい人数で、官邸前などにはとうていたどり着けず、国会議事堂前に。あの辺り一帯が人並みで埋め尽くされていて、白い風船の川が永田町の厳つい建物の間に流れていました。
昨年六月頃でしたか、東電前の抗議集会に出かけたときは、人もまばらで変わった人たちの集まり、といった風情でちょっと恥ずかしかったりしたのですが、今回は会社帰りの人たち、孫を連れたおじいちゃん、おばあちゃん、高校生、女子大生のグループ、主婦仲間、などなど、ほんとうにごく普通の人たちが集っていました。
自分でそういう集会に参加して意外だったのは、シュプレヒコールに乗って声を出すのは難しいということでした。気持ちはあるのに声は出ないということでしょうか。「原発いらない」「ノー・モア・フクシマ」「再稼働反対」などいろいろありましたが、やっと声を載せることが出来たのは「再稼働反対」。声と気持ちのズレはなかなか面白い発見です。結局集会の主なシュプレヒコールは「再稼働反対」で落ちついたのも、皆の気持ちがそこに集まったからでしょう。原因究明さえ出来ていず、検証も不十分、体制もそのまま、安全神話もそのまま、のなかでなし崩しに再稼働されることの情けなさを共有していたのだと思います。
参加している人たちが、手に手にスマホで動画を配信していたりして、世界で起こっているのはこういうことなんだな、と実感したことです。
2012/7/16
今回の大雨では実家のことについて多くのかたにご心配をいただき心に沁みて嬉しく思います。まだまだ続きそうな大雨が一日も早く去ってくれますように、と祈っています。
今、母からの情報では、停電が時々。また、水が出なくて給水車がきているということでした。母は施設にいて不自由なく過ごしていますが、母の友達の一人ぐらしのお年寄りが心配です。給水車がきても水を運ぶことはとても大変でしょう。
こういう災害を思うにつけ、震災に逢われた方々は、どんなに大変だろうと思います。思い続け、考え続け、目を逸らさないことが大切だとあらためて思います。
2012/6/3
今日、さきほど九州から帰ってきたところです。いろいろあって、いったんは片付けたはずの実家で、しばらく母と向き合って、この世の喧噪から取り残されておりました。
今日は空が、というか雲の上はいつもそうですが、死にたくなるほどきれいで、ずっと見とれていました。いつもそうなのですが、仕事しようとかパソコン広げたり本を開いても、飛行機に乗っている間は、なんだかウットリしてしまって結局なんにもできた試しがありません。あんまり空がきれいだし、もう十分生きたし、すごく幸せだったし、美味しいお寿司も食べたし、一人で焼鳥屋もハシゴしたし、コップ酒もけっこう飲んだし、もう今空中爆発で死んでもいいな、とか思ったのですが、今日は隣に一歳くらいの男の子とそのお母さんがいて、そんな底の浅い感動を吹き飛ばされました。
途中で飛行機がかなり揺れたのでした。飲み物も片付けられ、みんな眠気も覚めてしまったひとときがありました。おおついに空中で死ねるか、と感動しつつ、ふと隣を見ると、若いお母さんに抱かれた男の子がずっと気持ちよさそうに眠ったまま。お母さんも男の子をしっかりと両手で抱いたまま眠っていました。窮屈な座席で本当に気持ちよさそうに。まるで何一つ不安がないかのような。ああ、こんな時間が私にもあったな、と息子の幼かった頃のことを思い出しました。あれは一体何だったんだろう、天然自然からの贈り物のような時間だったかもしれません。
家族というのは旬の物。季節ものかもしれません。ずっと同じように信頼するに足るものであるとは思いません。青空ってなんか残酷な色をしてますね。よく見ると。
2012/5/19
ちょっと酔っぱらって書いているので、明日の朝恥ずかしいかも。久々のことですが、ワインを一本空けつつあるところです。
アンディー・ウォーホルのあの「芸術」が抱え込んでいる「憎悪」について。彼がアメリカと寝た男だとして、だけどあの生々しい壮大な憎悪はまさにアメリカ的なものにむかいつつ、誰とも寝ない高貴を保っているのではないか、と思います。何を思い浮かべてもいいのですが、たとえば電気椅子のモノクロの写真。マリリンモンローのたくさんの顔。いろんな種類のキャンベルスープの缶。あれらの「芸術」が本物であるためには、アメリカへの底知れない「憎悪」が必要であったと思います。そうでなければ単なるおちょくりでしかないし、ばかばかしい思いつきです。
私は『日本人霊歌』なしに塚本邦雄を語ろうとは思いません。あの泥臭い憎悪だけが塚本の饒舌を支えていると思います。
2012/5/6
ああー、いつの間にか若葉がいっぱいです。ずいぶん久しぶりに追い越された締め切りがない、という状況(う、本当はあるかも。岸本さん、申し訳なし!)でつくづく身辺を見たら、鉢植えのまま放っておいた薔薇が新芽を伸ばしていたり、忘れていたムスカリが花を咲かせていたり、と生き物は健気です。
震災後、さまざまな場所でさまざまな思いや言葉が生まれながら、けれどそれらがそれぞれにすれ違いながら、多くの人が「絆」よりは「孤独」を感じているというのが実態ではないかと思います。
一方で共通して見えるようになったのは、私たちの「未来」かもしれません。私たちは原発と共存するにせよ廃止するにせよ、作ってしまったこの怪物と人類史の彼方までつきあうしかない、という「未来」を共有し子ども達にそれを背負わせようとしています。しかしその不安さえ語り合うための本当の言葉がない、というのが今なのでしょう。
そんななかで、二冊の本に出会いました。一冊は加藤尚武『災害論ー安全性工学への疑問』(世界思想社)、もう一冊は鷲田清一『語りきれないことー危機と痛みの哲学』(角川学芸出版)です。いずれも哲学の立場からの著作ですが、私にも読めるくらい噛み砕いて書かれたコンパクトな本です。今の状況は、ことに原発に関しては、まともな情報自体がないわけで、その中で何をどう考えればいいのか、いや、そのこと自体をどう考えればいいのかを考える、知の試みとも言えるでしょう。
二冊に共通しているのは、啓蒙という立場ではない眼差しの透明感です。「わたしたちはオピニオンで動いておらず、オピニオンと思い込んでいるセンチメントで動いている」(鷲田)という状況ですが、そのセンチメントの靄を振り払い、可能な限りの理知の光で今と過去に向かって分かることを照らし出そうという意志に貫かれています。
こんな堅い本を読みながら、私はその意志の力強さと理知の光の明るさに感動して泣いてしまうという経験を初めてしました。不覚にも電車の中で。逆に言えば、多くの人がそうであるように、私も孤独であったのだとも思うのです。私たちはセンチメントの靄に包まれながら今、誰もが孤独です。その点在する無数の孤独を飛び越えてくる本物の言葉に出会った、と思います。なかなか短歌以外の本について書けるチャンスがないのですが、これだけは、と思いました。
一方で、創作者としての私は、分厚いセンチメントの靄に包まれたまま、わき上がってくる不安とも嫌悪ともつかないものを抱えて突っ立ったままです。簡単にその気味の悪い靄を振り払おうとは思いません。全く理知的でない、得体の知れない負の感情を、それが本当にわき上がってこなくなるまで自分の中から汲み上げ続けるしかないと思います。
私は「被災地」にいません。しかし被災地とそれ以外とを分ける語り自体への懐疑を拭いきれないまま、被災地とはどこか、と思います。もっとも深刻な被災地は、われわれの子供たちの未来かもしれない、とも思います。今の日本全体が福島だ、という語りはまた多くの不興を買うことでしょうが、やはりあえてそう言いたいと思います。